吉見町の岩殿鉱山探索

吉見町

探索日:2024年2月15日

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岩殿鉱山とは

岩殿鉱山は吉見町の吉見観音付近に有ったとされる銅鉱山です。
実際に『吉見町史 下巻』には以下の記載が有ります。

吉見観音の近辺には金堀穴・岩殿鉱山という跡があって、それぞれの由来がある。
~(中略)~
岩殿鉱山は、観音参道の側にその遺跡が有る。
大正・昭和期に岩殿鉱山事務所の看板を掲げて鉱石を採掘した。
作業は断続ながらも昭和十年代まで続いた。木のやぐらの真下が縦坑で、今は地表近くまで水がたたえられているので、危険防止の為小屋で覆っている。
縦坑の深さは約二十五メートルで、十二・三メートルの個所に鉱脈層が有り、放射状に三本の坑道が走っている。
鉱山本社から熟練工が四~五人で来て、それに地物の人たちが従事したが、どの鉱脈も埋蔵量が少ないので採算が取れず休鉱となった。
この鉱山の採掘期限は明らかでは無いが、おそらく鉱脈露頭が自然に発見されて開始されたのであろう。

ちなみに『日本鉱産誌 B 第1-b (主として金属原料となる鉱石 銅・鉛・亜鉛)』にも埼玉県の鉱山として岩殿鉱山の記載があります。
しかし、住所が埼玉県比企郡東松山市(旧高坂村)岩殿東武東上線高坂駅西方5キロ、岩殿観音付近となっている。
実際に東松山の高坂駅西方には岩殿観音があり、これを岩殿鉱山および吉見観音と間違えたのか、はたまた別の岩殿鉱山なのかは不明ではある。
ただ、岩殿観音付近にも洞窟らしき場所があるという情報を知っているので、いずれは探索に行きたいと思っています。

 

岩殿鉱山探索

さて、岩殿鉱山の探索です。
まずは吉見観音の参道付近を歩いてみます。

 

参道はアスファルトが敷かれた道となっており、両脇は住宅や駐車場となっています。

 

しかし参道脇の用水を見ると金属成分が含まれているようで、鉄バクテリアのためか赤茶色の水が流れ出ています。

 

この辺りはかなり怪しいですね。

 

そのまま参道を歩いて、吉見観音こと安楽寺へ。

 

吉見観音の謂れを見てみますが、鉱山に関するようなことは書かれていませんね。

 

境内へ。
本堂の他に三重塔も有って、非常に良いお寺ですね。

 

とりあえず、鉱山が見つかるようにお参り。

 

吉見観音を参拝してからは、改めて参道付近をウロウロ。
しかし鉱山の跡らしきものは見つからず。
吉見観音の参道沿いで住宅も多いため、さすがに鉱山跡は潰してしまったのでしょうか。

 

とりあえず地域の情報が入りそうな、参道沿いの茶店へ。
手作りの柚子サイダーなるものが有ったので注文しつつ、店員さんから情報収取。

 

 

すると鉱山の事を知る店員さんを呼んできて貰い情報をもらえる事に。
話を伺うと岩殿鉱山に関する以下の情報を教えてくれました。

  • 子供の頃は意味も知らず鉱山が有った付近を「こうない」と呼んでいた。
    おじいさん(この方のお父さん)のころから言われていた。もう片付けたが昔は鉱石の様な石が有った。
  • 昭和2X(個人情報なので伏字)年生まれだが、子供の頃は既に鉱山は無かった。
  • 採掘した鉱石は秋田県に出していたと聞いた。
  • 東松山に秋田の人が来ており、そこの人が岩殿鉱山を掘った。
  • 坑道の入り口は竪坑で、水が溜まっており、上の家が井戸として使ったことも有る。
  • この付近は地面を掘ると直ぐに岩盤に当たり、畑もろくにできなかった。
  • 井戸を掘ったことが有るが、その時に出た石はキラキラしていた。

さらに鉱山の有った場所を聞くと大まかに教えてくれ、今はコンクリートで塞いであるとの事。
お礼を言って早速鉱山が有った付近に向かいます。

 

まずは鉱山に関係する建物が有ったらしい場所。
この平場に何か建物が有ったらしいです。

 

 

平場をウロウロすると金属を含んだような石を発見。


 

鉱山当時の物かは分かりませんが湯飲みらしき破片。

 

ちょっと離れた駐車場にも、金属を含んでいそうな石が落ちています。

 

そして鉱山の竪坑が有った場所付近へ。
近づくと伐採した竹が打ち捨てられていますが、よく見ると何かあります。

 

なにやらコンクリート枠。
これが縦坑を塞いだ後でしょうか。

 

更によく見るとコンクリート枠からパイプが出ています。
ここが縦坑跡なら、話の通り地下水をくみ上げるためのパイプだったのかもです。

 

更に数メートル離れた場所にもコンクリート。

 

落ち葉や土砂で埋まっていたので半分ほど払ってみましたが、こちらはマンホールのように円形のコンクリートが土管か何かを覆っていように見られます。

 

先ほど伺ったお話や、状況的にこのコンクリートの遺構が岩殿鉱山に関係するものだと思います。
ただ目立つ場所でこれ以上ガサガサするのも何なので、鉱山の竪坑を井戸に使用したらしい家に行って見ます。

 

鉱山遺構の脇から上に上がると、かなり大きな建物が出てきます。
噂によるとここは養蚕関係の施設跡とか。

見る限り完全に廃墟となっていますね。

 

廃墟といえど人の手は入っているようなので、建物には入らず敷地外から観察。

 

鉱山の坑道の水を使用していたと聞いて、人が生活用水に使うのは危なそうな気がしましたが、養蚕関連の作業用水としてつかうなら、そこまできれいな水で無くても良かったのかもですね。

坑道跡や建物跡など鉱山の証拠となるものは見つかりませんでしたが、茶店の方の話や竪坑を塞いだ跡と思われるコンクリートを見つける事が出来ました。

お次は吉見観音の裏手に有るとされる、金堀穴を探しに向かいます。

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