安楽寺のまぶ湯探索

伊豆市

探索日:2025年10月28日

土肥の海岸でビーチコーミング後は、安楽寺にある「まぶ湯」を見に行きます。

土肥の海でビーチコーミング
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安楽寺のまぶ湯とは、土肥に有るお寺の安楽時の境内にある温泉で、江戸時代に金の採掘の為に掘った坑道から温泉が湧き出たもの。
土肥温泉の始まりの湯とも言われています。

 

土肥の海岸から少し歩いて安楽寺へ。
安楽寺へ来る途中に神社などにも立ち寄ったのですが、それは別の小ネタ記事でまとめようと思います。

 

安楽寺。
正式には吉祥山安楽寺。
曹洞宗のお寺だそうです。

 

門の脇には「まぶ湯」の案内が有ります。

 

「まぶ湯」の拝観料は本堂の浄財箱へとの事なので、おじゃまして本堂へ向かいます。
本堂へ向かいましたが、戸が閉まっています。

 

開けてみたら浄財箱が有ったので、お気持ちを入れ、折角なので旅の安全を祈願。

 

本堂をお参りしてからは、六地蔵の脇を抜けて「まぶ湯」へ。

 

「まぶ湯」の入り口には由来が有りました。

 

鉱湯(まぶゆ)の由来
慶長十五年(1610年)安楽寺の山に黄金(金鉱)ある由、公よりお使いがあり間部彦兵この岩窟より金鉱を採掘せしところ偶々(たまたま)、当寺住職家翁隣●大和尚病を患い、当時に奉安の薬師如来尊に二十一日間病平癒の祈願し、満願の夢に「汝にいで湯を授けん」とお告げがあり。夢さめて金鉱の岩間より霊湯湧出するを知る。
為めに採金成し難くこれを●住持、薬師如来尊を拝しつつしみ浴せしに病たちまち癒ゆ、しかして諸々の病にも霊験あるとて村人は申すに及ばず、遠近をとわず老若男女、夜となく昼となく浴みす。この湯を名付けて「鉱の湯」「医王泉」「こがね湯」とも言う。
※黒丸部分は文字が読み取れず。

 

まぶ湯坑内へ向かいます。

 

まぶ湯の坑口。
観光用なのか綺麗に作られています。

 

坑口から入って直ぐの場所に、湯舟が有ります。

 

手を入れてみたら丁度良い温度でした。

 

温泉はお地蔵様のすぐ脇から湧き出しています。

 

温泉の奥にも坑道が続いているので進んでみます。

 

奥には階段。そしてその手前の左側にも分岐が有ります。

 

左側の分岐。
こちらは水のたまった、タヌキ掘りの様な坑道。

 

温泉が湧いてる脇なのでこちらも温泉かと思いましたが、溜まっている水は温泉ではなく、冷たい水でした。

なぜ、こちらだけ冷たい水なのか不思議でしたが、探索後の資料でその理由が明らかに。

 

タヌキ掘り坑道から先に進み、階段を上った奥は柵が有ります。

 

佐久の奥には仏様と金鉱石が祀られています。

 

仏様と祀られた祠の奥にも坑道が続いているようですが、これ以上先には進めず。

 

祀られている金鉱石。
ここの坑道の物でしょうか。立派な金鉱石です。

 

最奥まで到達したので、戻りながら坑道内を見ていきます。

最奥付近の様子。
銅が多く含まれていそうな色をしていますね。

 

坑道の天井に走る鉱脈。
この鉱脈を追ってこの坑道を掘った様です。

 

そんなわけで「まぶ湯」探索終了。
こちらもお気持ちだけで、手軽に坑道内を探索できるのでお勧めです。

なお、まぶ湯の内部を撮影してみたので、興味のある方は以下の動画をどうぞ。

土肥の安楽寺のまぶ湯

 

 

 

さて、まぶ湯ですが、探索後に手に入れた資料「新版 土肥の金山」によると以下のような記載が有りました。

安楽時間歩の湯の出現
(一部略)
延宝元年(1673年)金堀師の間部勝彦が、北の山に黄金の鉉が有ると、お上に出願して採掘に取り掛かった所、7~8間掘り進んだ所で熱湯が湧き出した。これが、安楽時の間歩の湯、「間夫の湯(遊女の情人の湯)」「医王泉」「黄金の湯」「鑑の温泉」等と言われ、湯治客や地元の浴客でにぎわったと伝えられている。
なお、この温泉の発見伝説は慶長15年(1610年)説、寛永2年(1625年)説もある。

 

温泉の歴史
土肥に温泉の記録が現れたのは、鉱の湯(まぶのゆ)を持って嚆矢とする。
鉱の湯の発見年については二説あり、慶長15年(1610年)説と、延宝年間(1673~1681年)説である。
また、掘削の動機についても二節あり、安楽時の和尚の夢のお告げによるものと、もう一つは金鉱の脈ありとの公の使いにより掘進中に逢着したという伝承も在る。
いずれにせよ、金山開発と深いかかわりがあるものであろう。
この湯は明治36年に改良し、湯槽を増やし浴舎を改築して公衆入浴の便を図ってきたが、大正12年9月の関東大震災以来枯渇した。
その後、昭和40年代、町営源泉より引湯、復活している。

 

「新版 土肥の金山」の中でも若干記載内容が違ったり、画像ではお湯が枯渇している筈の昭和5年の頃に入浴している写真が有るなど、気になる点が有りますが参考になる資料です。

また、まぶ湯は関東大震災で枯渇し、今の湯は町営の源泉より引いているとの事です。
どうりで程よい温度のお湯が湯舟を満たしていたわけですね。

 

さて、まぶ湯とその坑道を見たので、お次は修善寺に戻り、大仁金山へと向かいます。

 

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