栃木県内に存在した鉱山を様々な資料を元に調べて一覧にまとめてみました。
このページに記載されている内容は、書籍、鉱山関係企業のホームページ、公的な機関の資料に記載がされており、実在していたと思われるものになっています。
大多数は既に閉山していますが、石灰やドロマイト鉱山、採石用の鉱山などは現在も稼働していることが多いです。
栃木県内には200か所以上の各種鉱山が有ったとの事で、今後も調べられる範囲で調べて掲載していこうと思っています。
なお、同じ鉱山でもその時代や経営者の変更などにより、別名で表記されていることもあります。
地名についてもその時代により異なるので注意してください。
あ行の鉱山
会沢鉱山・駒形石灰会沢鉱山(あいざわこうざん・こまがたせっかいあいざわこうざん)
場所:栃木県佐野市会沢町
大正13年10月に葛生石灰工業株式会社により操業が開始された鉱山。
足尾銅山(あしおどうざん)
場所:栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾)
主な産出物:銅
慶長15年に足尾村の農民である治郎と円蔵が発見し、日光座憚院の座主を経て徳川幕府に伝わり幕府直轄山となり翌年から銅の採掘が開始される。
明治元年には日光県の所轄となり、明治4年に民間に移り明治10年3月に古河市兵衛の手にわたりました。
江戸時代に採掘された銅は日光東照宮、江戸城の屋根葺き、芝の増上寺、上野の寛永寺などに使われたほか、長崎に運ばれオランダとの貿易品にも使用されています。
出典:本邦重要鉱山要覧、日本地方鉱床誌関東地方
安蘇石灰工業安蘇鉱山(あそせっかいこうぎょうあそこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町菅山(現在の栃木県佐野市菅山町)
駒形石灰により開発された鉱山で、後に安蘇石灰の経営となった、露天掘りにより石灰を採集していた鉱山。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
粟野鉱山(あわのこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町中粟野(現在の栃木県鹿沼市中粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
五十里鉱山(いかりこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町熊居沢(現在の栃木県日光市中三依付近)
鉄鉱山とし明治20年ごろから開発され、輝鉄鉱(赤鉄鉱)などが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、7万5千分の1地質図幅「塩原」 説明書、塩原図幅地域鉱床調査報告書
石鴨鉱山(いしがもこうざん)
場所:栃木県佐野市飛駒町
産総研の足尾の地質図には飛駒村の位置に記載が有るが、隣接する群馬県桐生市に石鴨の地名が有ることから、群馬県側にあった可能性あり。
産総研の足尾の地質図に記載されているマンガン鉱山。
調査時の昭和25年ごろは稼働であったとみられる。
出典:産総研の足尾の地質図
板荷鉱山(いたがこうざん)
場所:栃木県鹿沼市板荷
マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
今市鉱山(いまいちこうざん)
場所:栃木県今市市小休戸(現在の 栃木県日光市小百)
モリブデンの硫化物である輝水鉛鉱を採取していた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
岩神鉱山(いわがみこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町入飛駒(現在の栃木県佐野市飛駒町または群馬県桐生市梅田町4丁目)
マンガン鉱山として1948年には操業されていたようで、1号鉱床と2号鉱床から主に採掘された模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
磐城化工会沢鉱山(いわきかこうあいざわこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町大字会沢(現在の栃木県佐野市会沢町)
ドロマイトと石灰を採掘していた鉱山。
大正13年10月に葛生石灰工業株式会社として開発が開始され、その後に合併や社名変更などで、磐城セメント株式会社、磐城採石株式会社、常盤礦業、磐城化工株式会社と名称を変える。
磐城化工会沢鉱山の鍾乳洞から採掘された石筍が佐野市の指定文化財となっている。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」、佐野市ホームページ
岩切鉱山(いわきりこうざん)
主な産出物:マンガン
場所:栃木県足利郡坂西町岩切(現在の:栃木県足利市坂西
栃木県足利市と群馬県桐生市にまたがる仙人ヶ岳の登山コースの一つである、岩切登山口沿いにあるマンガン跡。登山コース脇には岩切鉱山の標識あり。
通洞坑、旧坑、二号坑などの坑道が有った模様。
出典:マンガン鉱床における1かせ断層について、日本地方鉱床誌関東地方
岩淵鉱山・岩渕鉱山・駒形石灰岩淵鉱山(いわぶちこうざん・こまがたせっかいいわぶちこうざん)
場所:栃木県佐野市あくと町
日本地方鉱床誌関東地方には明治26年創業(駒形石灰工業のホームページには明治24年創業と記載)の砕石用石灰岩や各種消石灰、肥料用の石灰などを生産。
現在採掘は行っていないようだが、駒形石灰工業岩淵工場として稼働中。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、駒形石灰工業のホームページ
筌場鉱山(うけばこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町筌場(現在の栃木県鹿沼市口粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
牛ヶ沢鉱山・牛ガ沢鉱山(うしがざわこうざん・うしがさわこうざん)
駒形石灰工業により運営されていた鉱山で、ドロマイト、石灰、白雲母などを採取していた。
地質調査総合センターの資料には駒形石灰牛沢鉱山の名称で記載あり。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、駒形石灰工業のホームページ、地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
大芦鉱山・東加蘇鉱山(おおあしこうざん・ひがしかそこうざん)
場所:栃木県鹿沼市塩浜
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大岩鉱山(おおいわこうざん)
場所:栃木県足尾町
日本地方鉱床誌関東地方に足尾町地域の鉱山として名称のみ記載。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大柿鉱山(おおがきこうざん)
場所:栃木県下都賀郡都賀町大柿(現在の:栃木県栃木市都賀町大柿)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大柿山鉱山(おおがきやまこうざん)
場所:栃木県下都賀郡都賀町大柿(現在の:栃木県栃木市都賀町大柿)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大叶鉱山(おおがのこうざん・おおかのうこうざん)
場所:栃木県佐野市葛生大叶
吉澤石灰工業により現在も操業している鉱山で、ドロマイトと石灰を採掘している。
石灰運搬用に大叶から簑輪間の地下を約2.8kmを走る大叶鉱山鉄道が有る。
吉沢石灰大叶鉱山や吉澤石灰大叶鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、吉澤石灰工業のホームページ
大倉鉱山(おおくらこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町(現在の栃木県佐野市)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大塩鉱山(おおしおこうざん)
場所:栃木県葛生町会沢(現在の:栃木県佐野市会沢)
日鉄会沢鉱山に隣接しており、大塩建材工業により昭和23年8月に砕石用鉱山として開鉱。
大塩建材工業大塩鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
大滝鉱山(おおたきこうざん)
場所:栃木県鹿沼市河原小屋
石英、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱などが採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大滝鉱山(おおたきこうざん)
場所:栃木県那須郡烏山町(現在の栃木県那須烏山市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大鳥鉱山(おおとりこうざん)
場所:栃木県那須郡馬頭町大鳥(現在の 栃木県那須郡那珂川町馬頭付近)
主に金を採掘していた鉱山。
大鳥という地名が有ることからその付近に存在したと思われる。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、広報なかがわ平成22年11月10日
大荷場鉱山・安蘇鉱山(おおにんばこうざん・あそこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町大荷場(現在の栃木県佐野市秋山町大荷場)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大百川鉱山(おおびゃくがわこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町上永野(現在の:栃木県鹿沼市上永野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大脇鉱山(おおわきこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町口粟野(現在の栃木県鹿沼市口粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大鷲鉱山(おおわしこうざん)
場所:現在の栃木県鹿沼市上大久保
花崗岩内の石英脈からモリブデンの硫化物である輝水鉛鉱が採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大和須鉱山・東那須鉱山・伊王野鉱山(おおわすこうざん、ひがしなすこうざん、いおうのこうざん)
場所:栃木県那須郡那須町大字大和須
炭マン、バラ輝石などの鉱石が採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
男鹿鉱山(おがこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町中三依(現在の栃木県日光市中三依付近)
中三依の田代山付近に位置する鉱山、流紋岩の中に網状の鉱脈が有る。
昭和10年には採掘が開始されていたが、昭和13年9月に暴風で坑道が崩壊し10月に休山となった。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
荻野磯山鉱山(おぎのいそやまこうざん)
場所:栃木県佐野市出流原町
明治20年代より肥料用石灰を採取しており、経営者が島田氏から荻野氏へと移ったとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
奥乃松鉱山(おくのまつこうざん)
場所:栃木県那須郡黒羽町(現在の栃木県大田原市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
小来川鉱山(おころがわこうざん)
場所:栃木県日光市小来川
鉱床が3本あり、黄鉄鉱、黄銅鉱、石英などが採れた様子。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
小百鉱山(おびゃくこうざん・こびゃくこうざん)
場所:栃木県河内郡豊岡村大字小百(現在の栃木県日光市小白)
主な産出物:金、銀、銅
いくつかの?があり、石英脈に金、黄銅鉱、黄鉄鉱などが含まれていた様子。
銅や金を採掘していたことが有る模様。
読み方は公益財団法人資源環境センターのサイトには「こびゃく」と記載あり。
明治38年10月ごろに発見され沼尾勝彌なる人物が開坑に着手し、明治39年6月に鉱業家である帆足義方の援助を受け良好な鉱床を発見。明治39年に経営が小百鉱山合資会社となりました。
大正6年1月1日に小百鉱山に藤田組が事務所設置のちの藤田組が同和鉱業に。
鉱山の排水処理は平成16年時点でまだ続いており、平成10年度に同和鉱業から(財)資源環境センターに移管されました。
出典:本邦重要鉱山要覧、渋沢社史、栃木県平成16年度環境の状況及び施策に関する報告書、日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
小俣鉱山(おまたこうざん)
場所:栃木県足利郡坂西町荒倉(現在の栃木県足利市小俣町荒倉)
主な鉱床が3つありマンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
か行の鉱山
鹿島鉱山(かしまこうざん)
場所:栃木県那須郡黒羽町須賀川横山(現在の栃木県大田原市須賀川)
炭マンやバラ輝石などの鉱石が採れ、昭和11年から昭和21年および昭和26年に稼働していた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
加蘇鉱山(かそこうざん)
場所:栃木県鹿沼市上久我
明治5年に発見されたマンガン鉱山。当初は露頭の露天掘りを行っていたが、昭和に入り坑内開発が行われ大規模な鉱山になったとの事。
数多くの?があり、坑道も大通洞坑から上は高さ116メートル、下はマイナス160メートル付近の14番坑まで採掘された。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
片柳鉱山(かたやなぎこうざん)
場所:栃木県佐野市出流原
明治19年に片柳氏により操業が開始されたドロマイトを採掘した鉱山です。
現在は片柳石灰工業株式会社となっている模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
門盛鉱山・門森鉱山(かどもりこうざん)
主な産出物:方鉛鉱、磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱など。
場所:栃木県塩谷郡栗山村門森沢(現在の栃木県日光市川俣)
門森沢鉱山と呼ばれる場合もある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
鹿沼鉱山(かぬまこうざん)
場所:栃木県鹿沼市坂本
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
釜ヶ沢鉱山(かまがさわこうざん)
場所:栃木県河内郡豊岡村大字佐下部(現在の栃木県日光市佐下部)
昭和11年に露頭が発見され採掘が行われた鉱山で、主に硫化鉄鉱を採掘していた。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
釜ノ沢鉱山・釜の沢鉱山(かまのさわこうざん)
主な産出物:銅
場所:栃木県塩谷郡塩谷町上寺島
古くは江戸時代から採掘が行われていたが、昭和13年7月に休山となった。
釜之沢鉱山、釜の沢鉱山とも表記する様子。銅を含む石英脈が有った模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
上久我鉱山(かみくがこうざん)
場所:栃木県鹿沼市上久我
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
上滝鉱山(かみたきこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町上滝(現在の栃木県日光市鬼怒川温泉滝付近)
古くは天保年間に発見されていたようで小規模な採掘が行われていたとの事。
硫化鉄の鉱床と銅鉱床の2つの鉱床が存在する。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
神友鉱山(かみともこうざん?)
場所:栃木県那須郡黒羽町(現在の栃木県大田原市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
上永野鉱山(かみながのこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町上永野(現在の:栃木県鹿沼市上永野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
唐沢鉱山(からさわこうざん)
場所:栃木県葛生町会沢(現在の:栃木県佐野市会沢)
昭和11年2月に富国セメントの原石用に開鉱。昭和29年には磐城セメントの原石用となった。
磐城セメント唐沢鉱山と表記されている場合もある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
烏山鉱山(からすやまこうざん)
場所:栃木県那須郡烏山町(現在の栃木県那須烏山市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
河内鉱山(かわちこうざん)
場所:栃木県河内郡豊岡村大字小百(現在の栃木県日光市小百)
晃北鉱山の北東に位置した鉱山。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
関白鉱山(かんぱくこうざん)
主な産出物:金、カオリナイト
場所:栃木県宇都宮市宮山田町193
この付近では古くから金が出る事が知られており、古くから小規模な金の採掘が行われていたが昭和19年ごろから金に代わり耐火用としてカオリンが採掘されるようになった。
金を採掘していた当時は羽黒鉱山と呼ばれており、いくつかの坑道を掘って採掘を行っていたが、昭和18年に休山となる。
関白鉱山は終戦後には製紙や耐火煉瓦などの需要により活発に開発されており、昭和25年の時点では大切坑・通洞・一番坑・二番坑・三番坑があり、昭和28年5月の時点では露天掘りの他に大切坑や上一番坑などの坑道があった模様。
現在は昭和KDE株式会社の関白鉱山として、ケイ酸塩鉱物の一種であるカオリナイト(カオリン)を露天掘りにて採掘している。
出典:関白鉱山カオリン鉱床について、栃木県日耐河内・巴および関白カオリン鉱山カオリン鉱床調査報告、昭和KDE株式会社ホームページ、日本地方鉱床誌関東地方
木戸ヶ澤鉱山・木戸ヶ沢鉱山(きどがざわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町大字小佐越(現在の:栃木県日光市小佐越付近)
主な産出物:銅
地元の古老の話によると元禄年間に採掘が開始され、享保・天明のころに最盛期であったとのこと。
明治9年以来、数人の鉱山権者の手に渡り細々と経営されていたが、明治39年8月に田中伊三郎の所有となり事業が拡大され、明治42年8月に田中合名会社の所有となりました。大正2年8月には木戸ヶ澤鉱山株式会社の手に渡っています。
渋沢社史によると昭和7年に開設された日光鉱山探鉱出張所と昭和30年6月に合併し、日本鉱業の栃木鉱業所となったと記載あり。
栃木鉱業所以降は木戸ヶ沢鉱区として運営され、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、金などが採れた。
また近くには、南沢区(南沢鉱山)、豊徳区(豊徳鉱山)、久富区(久富鉱山)などの鉱区が有った模様。
出典:本邦重要鉱山要覧、渋沢社史、日本地方鉱床誌関東地方、栃木県鬼怒川流域の金属鉱床における鉱石の帯状分布について、塩原図幅地域鉱床調査報告書
木村鉱山(きむらこうざん)
場所:栃木県葛生町仙波(現在の栃木県佐野市仙波町)
ドロマイト、消石灰、生石灰などを製造している。
木村石灰木村石灰鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
久良沢鉱山(きゅううらざわこうざん・きゅうらさわこうざん)
場所:栃木県上都賀郡足尾町久良沢
マンガン鉱山で1939年には採掘がおこなわれていた。
炭マン、緑マンガン鉱、バラ輝石、マンガンザクロ石などが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
金糸鉱山(きんしこうざん? かねいとこうざん?)
場所:栃木県足尾町湖南
足尾線(現在のわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)の足尾本山駅の北に有った鉱山。
方鉛鉱が富む石英脈が主な鉱床で、黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱などが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
葛和田鉱山(くずわだこうざん)
場所:栃木県佐野市閑馬町
飯田建材工業株式会社により運営されている鉱山で、生コンクリートに使用される砂利や砂を製造しています。
出典:飯田建材工業株式会社のホームページ
倉之沢鉱山・倉ノ沢鉱山(くらのさわこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町(現在の栃木県佐野市飛駒町付近)
マンガン鉱山で1937年には操業されていた様子。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
出典:日本地方鉱床誌関東地方
栗山鉱山(くりやまこうざん)
場所:栃木県塩谷郡栗山村(現在の 栃木県日光市川俣サビ沢)
花崗岩の中に含まれる石英脈のモリブデンの硫化物である輝水鉛鉱を採取していた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
黒田鉱山(くろだこうざん)
場所:栃木県芳賀郡茂木町黒田
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
桑原鉱山(くわはらこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町秋山(現在の栃木県佐野市秋山町)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
鶏鳴鉱山(けいめいこうざん)
場所:栃木県今市市(現在の栃木県日光市長畑)
鶏鳴山の山中にありモリブデンの硫化物である輝水鉛鉱や黄鉄鉱が採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
晃北鉱山(こうほくこうざん?)
場所:栃木県河内郡豊岡村(現在の栃木県日光市)
明治38年ごろから小規模に採掘されていたとの事。
昭和12年2月に石原氏の手に渡ったが、その後しばらくして休山となった。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
越路鉱山(こしじこうざん)
主な産出物:銅、鉄
場所:栃木県塩谷郡三依村(現在の栃木県日光市横川)
大正年間には採掘が行われており、昭和26年6月時点では尼ヶ崎肥料株式会社が所有。
大切坑、松平坑、鷹羽坑、立石坑などの坑口があった模様。
明治および大正には銅山として稼働し、黄鉄鉱なども採れた模様。
出典:栃木縣越路鉱山における電気探鉱について、日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
駒岡鉱山(こまおかこうざん)
場所:栃木県栃木市尻内町
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
駒形大釜鉱山・駒形石灰大釜鉱山(こまがたおおがまこうざん・こまがたせっかいおおがまこうざん)
場所:栃木県佐野市仙波
駒形石灰工業株式会社により石灰とドロマイトの採掘を目的に、昭和32年から採掘が始まった鉱山。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、駒形石灰工業株式会社のホームページ
さ行の鉱山
栄鉱山(さかえこうざん?)
場所:栃木県芳賀郡茂木町黒田
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
作原鉱山(さくはらこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町作原(現在の佐野市作原町)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
笹平鉱山(ささひらこうざん)
主な産出物:マンガン
場所:栃木県上都賀郡粕尾村上粕尾字笹平(現在の栃木県鹿沼市上永野付近)
大正6年に大島氏が発見し鉱区を設定、後に大山氏、毛塚氏を経て昭和17年6月に花崎操氏に移る。第二次大戦中は年間200t程の鉱石を産出していたが、昭和27年6月に休山。昭和27年12月に中島鉱業株式会社の経営となり事業再開。現在は閉山している。
出典:栃木縣鹿沼地方マンガン鉱床調査報告、日本地方鉱床誌関東地方
五月鉱山(さつきこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町入粟野(現在の栃木県鹿沼市入粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
三栄礦業氷室鉱山(さんえいこうぎょうひむろこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町水木(現在の栃木県佐野市水木町)
昭和26年に松崎石灰として創業しのちに現在の名称になった鉱山。
露天掘りにて石灰とドロマイトを採集している。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
三共戸叶鉱山(さんきょうとかのこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町水木(現在の栃木県佐野市水木町)
三共加工株式会社により昭和23年1月から石灰の採掘がおこなわれている鉱山。
採掘は露天掘りにて行われている。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
三斗小屋鉱山(さんどごやこうざん)
主な産出物:黄銅鉱、黄鉄鉱
場所:栃木県那須郡黒磯町三斗小屋(現在の栃木県那須塩原市板室付近)
出典:日本地方鉱床誌関東地方
十二鉱山(じゅうにこうざん)
場所:栃木県佐野市飛駒町
名称は十二鉱山であるが近くの十二山より根本山に近い位置にあった様子。
調査時の昭和25年ごろは稼働であったとみられる。
出典:産総研の足尾の地質図
白岩鉱山(しらいわこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町野上字白岩(現在の栃木県佐野市白岩町)
昭和27年4月に開鉱された、生石灰や消石灰を採掘していた鉱山。。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
白倉鉱山(しらくらこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町芹沢(現在の栃木県日光市芹沢または栃木県日光市独鈷沢)
昭和15年4月から採掘を開始し、銅を含む石英鉱脈を採取しているとの事。
名称から白倉山およびその下部の白倉沢付近に位置していたとみられる。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
白金鉱山(しろがねこうざん)
場所:栃木県塩谷郡玉生村字玉生(現在の栃木県塩谷郡塩谷町玉生)
玉船鉱山と隣接しており、鉱脈や所有者が同一とのこと。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
新発光路鉱山(しんほっこうじこうざん)
場所:栃木県上都賀郡上粕尾村(現在の栃木県鹿沼市上粕尾)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
星教鉱山(せいきょうこうざん)
場所:栃木県日光市小林付近
富井鉱山の北北東約3キロに位置する鉱山で、富井鉱山付近にある男山から伸びる男山断層に沿っている模様。
金を含む石英脈があり金を採掘していたらしく、1963年ごろまでは稼働していた様子。
古くは長武鉱山の名称だったこともあるらしい。
出典:栃木県富井鉱山の鉱脈構造、栃木県富井鉱山付近の造構運動および火成活動と鉱化作用の関係、日本地方鉱床誌関東地方
石尊山鉱山(せきぞんざんこうざん)
主な産出物:
場所:栃木県猛谷郡玉生村深入(現在の栃木県塩谷郡塩谷町)
標高480メートルの石尊山のふもとに位置し、数本の鉱脈があり、金や銀の採れた鉱脈、銅の採れた鉱脈などが有った様子。
大正元年から採掘が行われたがすぐに休山、昭和2年から同5年にかけて沿尾氏により採掘が行われるも休山。その後所有者が変更し昭和7年より再度採掘が行われた。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
た行の鉱山
大東鉱山(だいとうこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町秋山(現在の栃木県佐野市秋山町)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
第二加蘇鉱山(だいにかそこうざん)
場所:栃木県鹿沼市坂本
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
第三加蘇鉱山(だいさんかそこうざん)
場所:栃木県栃木市大森町
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
第一五月鉱山(だいいちさつきこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町入粟野(現在の栃木県鹿沼市入粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
第二五月鉱山(だいにさつきこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町入粟野(現在の栃木県鹿沼市入粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
第一塩原鉱山(だいいちしおばらこうざん)
主な産出物:方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱など。
場所:栃木県塩谷郡塩原町中塩原赤沢谷(現在の栃木県那須塩原市中塩原)
第三塩原鉱山(だいさんしおばらこうざん)
主な産出物:銀、銅、鉛、亜鉛
場所:栃木県塩谷郡塩原町中塩原(現在の栃木県那須塩原市中塩原)
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
大日沢鉱山(だいにちざわこうざん)
場所:栃木県上都賀郡足尾町大日沢(現在の栃木県足尾町)
日本地方鉱床誌関東地方に足尾町地域の鉱山として、足尾駅東方4kmの大日沢にあると記載。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
大名沢鉱山(だいみょうざわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
明治30年ごろから採掘が行われていたがしばらくして大正6年まで放置され、何度か権者の変更と休山を経ている。
釜ノ沢鉱山の北に位置しており、黄銅鉱などを採取していた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
高倉鉱山(たかくらこうざん)
場所:栃木県那須郡馬頭町上郷(現在の 栃木県那須郡那珂川町大山田上郷付近)
主に金を採掘していた鉱山で、高倉山という標高501メートルの山が有るので、その付近の鉱山と思われる。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、広報なかがわ平成22年11月10日
高田高徳鉱山(たかだたかとくこうざん)
場所:栃木県塩谷郡籐原町大字高徳(現在の栃木県日光市高徳)
明治45年から大正9年まで稼働し一度休山となったものの、昭和4年11月から高田貞三郎および稲山伝太郎と日本鉱業株式会社による共同経営で再開された鉱山。後に日本鉱業株式会社は経営から外れたとの事。
主に金を採掘していた。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
高徳鉱山(たかとくこうざん)
場所は日本地方鉱床誌関東地方では栃木県塩谷郡藤原町高徳(現在の栃木県日光市高徳)。塩原図幅地域鉱床調査報告書では栃木県塩谷郡藤原町小字をそ沢となっている。
金、銀、銅、鉛、亜鉛を含む鉱石が採取されたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
高原鉱山(たかはらこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
高原山の頂上付近で硫黄を採取していた鉱山です。
高原山は黒曜石が採れることでも知られ、日本最古といわれる黒曜石採掘跡が遺跡となっています。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
鷹ノ巣鉱山(たかのすこうざん)
場所:栃木県鹿沼市上粕尾鷹ノ巣
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
高林鉱山(たかばやしこうざん)
主な産出物:亜鉛、鉛、銅
場所:栃木県那須郡黒磯町湯ノ宮(現在の栃木県那須塩原市湯宮付近)
昭和13年には採掘が行われており、鉱石として黄銅鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、石英などが採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
高平鉱山(たかひらこうざん)
主な産出物:マンガン
場所:栃木県上都賀郡加蘇村上久我字馬返し(現在の栃木県鹿沼市上久我)
昭和15年にはすでに採掘がおこなわれていたとの事で、昭和16年に永田宏弘氏が東加蘇鉱山の経営者であった平田氏から譲り受け、昭和25年には鉱業権が早川武義氏に移動した。
また第二鉱床は昭和17年から20年ごろにかけ草野氏により採掘が行われていたとの事。
主な坑道には大通洞、大切坑、1号坑、5号坑、8号坑、川向坑、他無名の坑道がいくつか有ったとの事。
出典:栃木県鹿沼地方マンガン鉱床調査報告、日本地方鉱床誌関東地方
高山鉱山(たかやまこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
明治26年ごろにはすでに採掘が行われていたとの事。
1本の鉱脈が走っており、黄鉄鉱、黄銅鉱、石英などが含まれている。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
宝沢鉱山・発光鉱山(たからざわこうざん)
場所:栃木県上都賀郡上粕尾村(現在の栃木県鹿沼市上粕尾)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
滝頭鉱山(たきがしらこうざん)
場所:栃木県今市市六沢
現在の住所上の地名は不明だが、栃木県日光市小百付近と思われる。
古くから採掘されており、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、石英などが採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
田源鉱山(たげんこうざん)
場所:栃木県栃木市鍋山町
田源石灰工業株式会社により消石灰と生石灰の製造を行っている。
嘉永4年に創業者の田村幸蔵が肥料用石灰を製造したのが始まりで、栃木市鍋山町の石灰製造の大元でも有る鉱山。
田源石灰第一鉱山と田源石灰第二鉱山が有った模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、田源石灰工業株式会社のホームページ、地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
竜ガ沢鉱山・竜ヶ沢鉱山(たつがさわこうざん・たつがざわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡栗山村川俣(現在の栃木県日光市川俣)
沿革は定かではないが昭和14年には採掘が行われていた。
主な?は4本あり、銅、鉛、亜鉛を含む石英脈。また、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱なども採れたようす。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
立室鉱山(たてむろこうざん・たつむろこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
玉生鉱山の東北に隣接し、玉生鉱山とほぼ同等の地質であるとの事。
2つの?があり、鉱石も玉生鉱山と同じ模様。
塩原図幅地域鉱床調査報告書には「たつむろこうざん」と記載あり。
大正8年に探鉱が行われたがその後は放棄されるも、昭和8年に和知氏が良好な鉱脈を発見し万珠鉱業株式会社に開発を委任した。
昭和13年9月に洪水により坑内は崩壊し、昭和14年1月に玉生鉱山の休山とともに立室鉱山の採掘も休業となった。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
田沢鉱山(たざわこうざん)
場所:栃木県栃木市鍋山町付近
明治年間から操業しておりドロマイトと石灰を採掘している。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
田沢大釜鉱山(たざわおおがまこうざん)
場所:栃木県葛生町仙波小野久保(栃木県栃木市鍋山町付近)
昭和35年1月に操業された鉱山でドロマイトを採掘。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
田沼鉱山(たぬまこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町(現在の栃木県佐野市)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
田政鉱山(たまさこうざん)
場所: 栃木県栃木市鍋山町
明治20年に石灰製造業として設立された田政砿業株式会社により運営されている鉱山。
ドロマイトや生石灰の採掘と製造をしている。
田政鑛業田政鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、田政砿業株式会社のホームページ
玉生鉱山(たまにゅうこうざん)
主な産出物:金、銀、銅、鉛、亜鉛、ウラン、トリウム、珪石
場所:栃木県塩谷郡玉生村西立室高原火山の南麓(現在の栃木県塩谷郡塩谷町)
1920年代から銀を目的に採掘がされ、1932年からは万珠鉱業株式会社の経営となり大規模に採掘が行われた。1938年の梅雨前線と台風による大雨により1939年より休山となる。
1957年から北川直祐氏と湧井卯一氏の所有となり採掘がおこなわれた。
山神坑、通洞坑などの坑道が存在した模様。
また、若干ながらウランの存在も認められたとのこと。
出典:日本におけるウランの産状、日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
玉船鉱山(たまふねこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
万珠鉱山の西北に位置し、金を含む石英脈が有ったとの事。日本地方鉱床誌関東地方には同時に白金鉱山の名称も表記されているが詳細は不明。
塩原図幅地域鉱床調査報告書には白金鉱山と鉱区が隣接しており、鉱床や所有者も同じであるとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
都賀鉱山(つがこうざん)
場所:栃木県下都賀郡都賀町(現在の栃木県栃木市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
出口鉱山(でぐちこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町出口(現在の栃木県鹿沼市中粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
寺島鉱山(てらしまこうざん)
場所:栃木県塩谷郡玉生村字寺島(現在の栃木県塩谷郡塩谷町上寺島)
古くは寛永年間に宇都宮城主戸田忠友の御直山として採掘が行われており、明治の中頃に古川市兵衛が所有権を得て操業されたがその後休山。大正10年に平野氏が採掘権を譲り受け再度採掘が行われた。
玉船鉱山の北に隣接しており、大福本?、4号?、7両坑?などいつくかの鉱床があり、金を含む石英脈、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱などが取れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
天上沢鉱山(てんじょうざわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
古くは江戸時代初期から採掘が行われていたとの事。
1号?、4号?、5号?、旭?、山神?などの鉱床があり、主に石英脈の中に銀、銅、亜鉛などが含まれていたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
遠入鉱山(といりこうざん)
主な産出物:方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱など
場所:栃木県今市市長畑(現在の栃木県日光市長畑)
出典:日本地方鉱床誌関東地方
東京石灰鉱山(とうきょうせっかいこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町山菅(現在の栃木県佐野市山菅町)
昭和16年に東武鉄道(東武開発)が開発した石灰鉱山で、昭和22年に東京石灰工業の経営となった。
現在も稼働中の鉱山。
東京石灰工業東京石灰鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
銅蔵鉱山(どうくらこうざん)
主な産出物:銅、亜鉛、鉛
場所:栃木県塩谷郡栗山村(現在の栃木県日光市湯西川)
日本地方鉱床誌関東地方には「栃木鉱業所銅蔵坑」の名称で記載され、光坑と白沢坑の2つの坑道が有った模様。
白沢坑は白滝沢の中腹にあり、石英脈の中に黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、菱マンガン鉱、蛍石などが見られたとの事。
白沢坑の対岸には光坑があり本?、2号?、3号?の3つの鉱床がありその鉱床に沿って坑道が掘られていた。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
東昭鉱山(とうしょうこうざん?)
場所:栃木県河内郡上河内村謡辻(現在の栃木県宇都宮市宮山田町付近)
宮田鉱山と呼ばれていたこともあり、金を採掘していたとのこと。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
東照鉱山(とうしょうこうざん)
場所:栃木県塩谷郡豊岡村(現在の栃木県日光市所野付近)
赤薙山の東南麓にあり、銅を採掘していた鉱山。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
栃木鉱山(とちぎこうざん)・天頂鉱山(てんちょうこうざん)
場所:栃木県塩谷郡玉生村(現在の木県塩谷郡塩谷町玉生)
明治37年に舟生村の斎藤氏が発見し採掘権を得た。明治43年に泉氏が採掘権を得て、天頂鉱山と命名した。
昭和3年8月久原鉱業の所有となり栃木鉱山と改名。昭和4年に日本鉱業株式会社の所有となり、日光鉱山と合併した。
経緯から日光鉱山の北側鉱区(栃木鉱区)とされることもある。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
栃木永野鉱山(とちぎながのこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町上永野(現在の:栃木県鹿沼市上永野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
富井鉱山・篠井金山(とみいこうざん・しのいきんざん)
場所:栃木県宇都宮市篠井町
古くは戦国時代から金の採掘がおこなわれており篠井金山とも呼ばれていた。
昭和30年から東邦亜鉛により銅の採掘が行われた。
現在は紫水晶(アメジスト)が採れることでも知られている。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
戸室鉱山(とむろこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町戸室(現在の栃木県佐野市戸室町)
明治20年ごろに操業を開始した鉱山で、初期は肥料量石灰を製造。昭和18年から20年は日立製作所用の石灰を、昭和21年からは駒形石灰工業用に石灰を生産。
三好鉱山の隣に位置していたとのこと。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
豊岡鉱山(とよおかこうざん)
場所:栃木県今市市六沢(栃木県河内郡豊岡村穴沢の記載もあり)
現在の住所上の地名は不明だが、栃木県日光市小百付近と思われる。
滝頭鉱山のすぐ隣のようで、2本の鉱脈が有り、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、石英などが採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
な行の鉱山
永島鉱山(ながしまこうざん)
場所:栃木県佐野市出流原
明治38年から石灰を採掘していた鉱山で、宮田赤見鉱山に隣接していたとのこと。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
仲妻鉱山(なかづまこうざん)
場所:栃木県那須郡馬頭町上郷(現在の 栃木県那須郡那珂川町大山田上郷付近)
主に金を採掘していた鉱山。
仲妻という地名が有ることからその付近に存在したと思われる。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、広報なかがわ平成22年11月10日
永野鉱山(ながのこうざん)
主な産出物:マンガン
場所:栃木県上都賀郡永野村口字弓立(現在の栃木県鹿沼市上永野付近)
明治22年に高島虎蔵および大島画蔵が露頭を発見しその後約1年ほど稼働。その後に田浦・高橋等の手に渡ったのち大正6年に斎藤蜘一の時代に炭酸マンガンを相当量産出したが、大正7年に休山。
大正11年には鉄興社(現在の東北東ソー化学)手に渡り、昭和21年ごろまで操業後休山。昭和26年には関東金属鉱業株式会社が経営するも昭和27年12月に操業停止となった。
出典:栃木県鹿沼地方マンガン鉱床調査報告
中ノ沢鉱山(なかのさわこうざん・なかのざわこうざん)
場所:塩谷郡梨山村大字川保字、鬼怒沼付近の海抜約1300メートル付近と記載。
大正4年に尾身氏が鉱業権を取得し採掘を行っていたが、交通の便が悪いことや資金不足から休山となった。
主に金や銀を採掘していた様子。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
中ノ沢鉱山・中の沢鉱山(なかのさわこうざん・なかのざわこうざん)
日本地方鉱床誌関東地方では場所は栃木県塩谷郡藤原町中三依(現在の栃木県日光市中三依付近)で、中三依から中ノ沢を登り標高約1000メートル付近に位置すると記載。
塩原図幅地域鉱床調査報告書では塩谷郡三依村男鹿川支流中の沢の上流にあり、海抜約1,000mに位置すると記載。
主に金を採掘していたほか、銅を含む石英鉱脈、黄鉄鉱や黄銅鉱が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
長野原鉱山(ながのはらこうざん)
場所:栃木県鹿沼市長の原(現:鹿沼市板荷字長野原)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
中三依鉱山(なかみよりこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町中三依(現在の栃木県日光市中三依付近)
明治時代には採掘が始まっており、何度か権者が変更の後に日本産金株式会社の手に渡ったとの事。
3本の鉱脈が有り、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱などが採れるほか、花崗岩の中に塊状の鉛や亜鉛が見られるとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
那須鉱山(なすこうざん)
場所:栃木県那須郡那須町
那須岳の頂上付近にある噴気孔から硫黄を採取していた鉱山です。
噴気孔から出る噴気ガスを煙道に集め昇華させて硫黄を採取していました。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
那須鉱山(なすこうざん)
場所:栃木県那須郡那珂川町大山田上郷付近に有った金山。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、広報なかがわ平成22年11月10日
鍋山鉱山(なべやまこうざん)
場所:栃木県栃木市鍋山町
明治32年10月ごろより岡田嘉右衛門により石灰の製造が始まった鉱山で、現在は岡田石灰工業株式会社が運営している。
ドロマイトと石灰を採掘しており、岡田石灰鍋山鉱山をも表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」、岡田石灰工業株式会社ホームページ
鉛山鉱山(なまりやまこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
天上沢鉱山の西に位置しており、鉛や亜鉛を含む鉱脈が有ったとの事。
出典となっている日本地方鉱床誌関東地方に記載(昭和48年)の時点で「旧鉱」と書かれているため、かなり古い鉱山の模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
南方鉱山(なんぼうこうざん)
場所:栃木県那須郡黒羽町南方(現在の栃木県栃木県大田原市南方)
マンガン鉱床が4kmに渡って存在し、昭和11年から昭和19年の間に3661トンの鉱石を出鉱したとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
西澤金山・西沢鉱山(にしざわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡栗山村(現在の栃木県日光市中宮祠)
主な産出物:金、銀、銅、鉛、蒼鉛、錫、重石
この地は日光の社領に属していたため金銀の採集が禁じられていたが、弘化年間に時に稼業人(まともな仕事についていない人の意)であった、鴻野傳右衛門なる人物が鉛と偽って銀を採取していたが日光奉行に発見され罰せられた。
明治29年に地元の栗山村の村民が採掘許可を得て、同年8月に高橋源三郎を中心に採掘を行ったところ明治29年に金、銀、蒼鉛を含む鉱脈を発見。
翌30年から製錬を開始し明治35年まで稼働していましたが、同年9月に足尾台風の山津波により製錬所を始め多くの設備が流される未曽有の災害を受けました。この被害後の明治39年8月に県下の有力者が集まり、鉱山主を助ける目的で西澤金山探鉱株式会社を設立し明治41年に製錬場を再建しました。
出典:本邦重要鉱山要覧、日本地方鉱床誌関東地方
日光鉱山・天頂鉱山(にっこうこうざん・てんちょうこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町舟生(現在の栃木県塩谷郡塩谷町舟生)
主な産出物:金、銀、銅
明治40年4月に鉱床が発見され、同月に試掘をしたところ優良な鉱床であったとのこと。明治42年4月に安藤庄太郎が買収し翌月より採掘を開始、明治44年1月には合名会社安藤組の経営となる。
この鉱山は時代により鉱山の名称が何度か変わったようで、日本地方鉱床誌関東地方では「栃木鉱業所日光区」と表記されている。
日光街道の北側を「栃木坑」「栃木鉱山」「天頂鉱山」と名称で呼んでいたことがあり、南側を「日光坑」「日光鉱山」と呼んでいた。
なお、日本鉱業会誌83巻では「明治37年に発見され、同39年に露頭の発掘を開始し天頂鉱山と称す」「昭和3年に久原鉱業が買収し栃木鉱山と改称」と記載されている。
塩原図幅地域鉱床調査報告書には場所は塩谷郡王生村。明治39年に鉱床が発見され同41年7月から採掘開始、権者がいくつか変わったのちに昭和7年4月から日本鉱業株式会社の経営となったと記載。
出典:本邦重要鉱山要覧、日本地方鉱床誌関東地方、日本鉱業会誌83巻、塩原図幅地域鉱床調査報告書
日鉄会沢鉱山(にてっつあいざわこうざん)
場所:栃木県佐野市会沢または栃木県佐野市仙波町
明治に小松原氏により開発されドロマイトと石灰を採掘していた鉱山。
日鉄鉱業会沢鉱山と表記されることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
野上鉱山(のがみこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町作原大戸(現在の栃木県佐野市作原町)
古くは旧田沼町が野上村だったことからこの名称となった模様。
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
野上鉱山(のがみこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町野上字白岩(現在の栃木県佐野市白岩町)
昭和28年1月に清水石灰工業株式会社により開鉱された鉱山で、石灰岩などの採掘と消石灰や生石灰の製造を行っていた。
野上石灰鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
野峰鉱山・野峯鉱山(のみねこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町黒沢(現在の栃木県佐野市飛駒町黒沢)
マンガン鉱山として明治時代に採掘が開始され、1955年に鉱業権が中央電気株式会社に移ってから、本格的に採掘が行われたと事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
は行の鉱山
旗宿鉱山(はたじゅくこうざん)
場所:栃木県那須郡芦野町大字寄居(現在の栃木県那須郡那須町寄居)
バラ輝石、菱マンガン鉱が採れたとの事。
隣接する福島県白河市に「旗宿」の地名があるので、場所は白河市かもしれない。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
八宝鉱山(はっぽうこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町(現在の:栃木県鹿沼市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
羽鶴鉱山(はづるこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町(現在の栃木県佐野市仙波町付近)
日鉄鉱業株式会社葛生鉱業所羽鶴鉱山としてドロマイトや石灰を採集しており、鉱石の運搬用に葛生駅から日鉄鉱業葛生鉱業所羽鶴鉱山専用鉄道も運行されていた。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
東大東鉱山(ひがしだいとうこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町(現在の栃木県佐野市)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
東山鉱山・川面鉱山(ひがしやまこうざん・かわずらこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町(現在の栃木県佐野市)
マンガン鉱山で炭マン、バラ輝石、酸化マンガンなどが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
引田鉱山(ひきたこうざん、ひきだこうざん)
場所:栃木県鹿沼市引田
引田鉱山は本坑と少し離れた岩鼻地区に岩花坑道があった様子。銅と亜鉛の採取を目的とした鉱山の模様。
東京大学総合研究博物館には引田鉱山の菱鉄鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、カオリナイトが収蔵されている。
出典:東京大学総合研究博物館データベース、日本地方鉱床誌関東地方
久富鉱山(ひさとみこうざん?)
場所:栃木県塩谷郡籐原町大字高徳(現在の栃木県日光市高徳)
主に金を産出していた鉱山で、発見後に採掘権が何度か変わったのち、昭和12年に日本硫黄株式会社の手に渡ったが、鉱石の状況が良くなかったため休山となった。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
日向鉱山(ひなたこうざん)
場所:栃木県塩谷郡栗山村大字日向(現在の栃木県日光市日向)
300年前に発見されるも長らく休山状態が続き、明治28年から採掘が行われ、所有権が何度か変更した後の明治30年に古和合名会社に渡る。
明治35年に洪水のために設備が破壊され休業となりその後も何度か経営が変わり日向興業株式会社の手に渡った。
主な鉱床は3つあり、それぞれ明神?、隆盛?、卯酉?と呼ばれていた様子。
主に銅を採っていたほか、磁硫鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱なども見られたとのこと。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
蕗平鉱山(ふきだいらこうざん)
場所:栃木県鹿沼市蕗平
閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、石英などが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
不動鉱山(ふどうこうざん)
場所:栃木県鹿沼市河原小屋
石英、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱などが採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
フバサミクレー鉱山
場所:栃木県日光市猪倉2204番地
主な産出物:ろう石など。
現在は昭和KDE株式会社の日光フバサミ工場事業所。昭和45年にフバサミクレー(株)が設立され、平成23年に昭和KDE株式会社に合併された。
鉱山の有った場所の過去の地名が今市市猪倉文挟(ふばさみ)であったので「フバサミクレー」の名称だったものとみられる。Googleマップを見ると比較的大規模に露天掘りを行っていた様子。
出典:昭和KDE株式会社ホームページ会社概要
豊徳鉱山(ほうとくこうざん)
場所:栃木県塩谷郡籐原町大字高徳(現在の栃木県日光市高徳)
古くは江戸時代から主に金の採掘が行われていた鉱山で、多くの手を経て昭和6年に日本鉱業株式会社所有となった。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
発光路鉱山(ほっこうじこうざん)
場所:栃木県上都賀郡上粕尾村(現在の栃木県鹿沼市上粕尾)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
ま行の鉱山
益子鉱山(ましここうざん)
場所:栃木県芳賀郡益子町上大羽
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
松坂鉱山(まつざかこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町中粟野(現在の栃木県鹿沼市中粟野)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
松崎鉱山(まつざきこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町(現在の栃木県鹿沼市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
松崎氷室鉱山(まつざきひむろこうざん)
場所:栃木県安蘇郡氷室村(現在の栃木県佐野市水木町付近)
松崎石灰が開発したドロマイトと消石灰の採掘を行っていた鉱山。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
松葉鉱山(まつばこうざん)
場所:栃木県那須郡黒羽町(現在の栃木県大田原市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
栃木県大田原市の旧黒羽町に当たる付近に松葉川が流れているからその近辺である可能性が高い。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
真名子鉱山(まなここうざん)
場所:栃木県上都賀郡西方村真名子(現在の:栃木県栃木市西方町真名子)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
丸山鉱山(まるやまこうざん)
主な産出物:金
場所:栃木県塩谷郡玉生村大字烏羽(現在の栃木県塩谷郡塩谷町鳥羽)
慶長年間から採掘が行われていたようで、昭和9年8月に万珠鉱業株式会社が鉱業権を取得。
標高574メートルの丸山の脇にあったため丸山鉱山と名付けられた模様。
北星下坑?、九年?などの石英を中心とした鉱床がいくつか有った。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
万珠鉱山(まんじゅこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町下寺島
金を含んだ石英脈、黄鉄鉱、黄銅鉱の鉱脈などが有った。
古くは明治42年ごろから採掘が行われており所有者が何度か変わった後に、昭和9年3月に万珠鉱業株式会社が鉱業権を取得。
現在は独特な形の紫水晶が採れることでも有名。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
水木鉱山(みずきこうざん)
主な産出物:珪石
場所:栃木県栃木市西方町真名子
JFEミネラル株式会社により露天掘りにて珪石を採掘している鉱山。
採掘された珪石は栃木鉱業所に運ばれ、細かく破砕され日光珪砂となって販売されています。
出典:JFEミネラル株式会社ホームページ
光亀鉱山(みつかめこうざん?)
場所:栃木県那須郡黒羽町(現在の栃木県大田原市)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
南沢鉱山(みなみざわこうざん・みなみさわこうざん)
場所:栃木県塩谷郡籐原町大字高徳(現在の栃木県日光市高徳)
当初は玉ノ沢鉱山と呼ばれていたこともあり、明治42年ごろから主として金の採掘が行われた様子。
鉱業権が3回ほど移り日本鉱業株式会社の所有となった。
出典:塩原図幅地域鉱床調査報告書
美野沢鉱山(みのさわこうざん・みのざわこうざん)
場所:栃木県那須郡那須町美野沢
現在の地名としては蓑沢となっている?
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
宮田赤見鉱山(みやたあかみこうざん)
場所:栃木県佐野市出流原
明治20年ごろから石灰を製造していた鉱山。現在は宮田石灰株式会社(宮田石灰赤見工場)となっている模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
宮田常磐鉱山(みやたときわこうざん)
場所:栃木県葛生町仙波(現在の栃木県佐野市仙波町)
宮田石灰株式会社により運営されていた鉱山で、昭和23年から石灰の採掘がおこなわれていた。
宮田石灰常盤鉱山と表記されることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
三好鉱山・三好鑛業戸室鉱山(みよしこうざん・みよしこうぎょうとむろこうざん)
場所:栃木県佐野市戸室町989
三好砿業株式会社により昭和5年から操業し現在も操業している鉱山で、砕石や砂利などを製造しています。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
三好鉱山(みよしこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町岩崎(現在の栃木県佐野市岩崎町)
マンガン鉱床として酸化マンガンを採掘していた。
上記の三好鉱山と場所は近いが関係が有るのかは不明。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
三依鉱山(みよりこうざん)
場所:栃木県塩谷郡藤原町独鈷沢(現在の栃木県日光市独鈷沢)
昭和11年9月に斎森氏らによって採掘が行われていたが、昭和12年10月に休山となった。
五十里鉱山などと同じ鉱床で、鉄鉱山として輝鉄鉱や黄鉄鉱などが採れた模様。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
村樫会沢鉱山・村樫石灰会沢鉱山(むらかしあいざわこおうざん)
場所:栃木県佐野市会沢町
村樫石灰工業株式会社により現在も操業している鉱山で、ドロマイトや石灰を採掘している。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、村樫石灰工業株式会社のホームページ
村樫石灰戸叶鉱山・戸叶鉱山(むらかしせっかいとかのこうざん・とかのこうざん)
場所: 栃木県佐野市水木町
村樫石灰工業株式会社により運営されていた鉱山で、現在採掘はしていない模様。
鉱山跡が廃墟施設として有名となっている。
出典:村樫石灰工業株式会社のホームページ
村樫宮本鉱山(むらかしみやもとこうざん)
場所:栃木県葛生町宮本(現在の栃木県佐野市宮下町)
安政元年に村樫伊賀守により石灰の製造が開始された鉱山。現在も操業中で露天掘りにより石灰やドロマイトを採掘している。
現在の村樫石灰工業株式会社の本社付近とみられる。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、村樫石灰工業株式会社のホームページ
茂木鉱山・日産鉱山(もてぎこうざん・にっさんこうざん)
場所:栃木県芳賀群茂木町と茨城県西茨城郡七会村(現在の茨城県東茨城郡城里町)
石英鉱脈内にある輝安鉱からアンチモンを採集していた鉱山。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
や行の鉱山
野州鉱山(やしゅうこうざん)
場所:栃木県塩谷郡塩谷町
古くから操業されていたようで明治38年にはすでに採掘が行われていた模様。
主な鉱脈は2本で、黄鉄鉱や黄銅鉱を含んでいたとの事。
現在は水晶が採れることでも知られている様子。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、塩原図幅地域鉱床調査報告書
山口工業三好鉱山(やまぐちこうぎょうみよしこうざん)
場所:栃木県安蘇郡田沼町戸室(現在の栃木県佐野市戸室町)
山口氏の手により昭和5年から露天掘りにより石灰などを採集していた鉱山。
出典:地質調査総合センター特集工業原料鉱物「ドロマイト」
山野井鉱山(やまのいこうざん)
場所:栃木県安蘇郡葛生町山菅(現在の栃木県佐野市山菅町)
日本地方鉱床誌関東地方には昭和17年に創業したと記載の有る石灰の砕石鉱山。山野井砕石工業のホームページには昭和12年操業となっている。
現在も山野井砕石工業として稼働中。
山野井砕石工業山野井鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方、山野井砕石工業のホームページ
横倉鉱山(よこくらこうざん)
明治に石島氏により開発され後に横倉石灰に経営が移った。
鍋山鉱山の隣にありドロマイトと石灰を採掘している。
横倉石灰横倉石灰鉱山と表記されていることもある。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
横根山鉱山(よこねやまこうざん)
場所:栃木県上都賀郡粟野町(現在の栃木県鹿沼市入粟野)
1998年の日本新産鉱物情報にプロトマンガノ鉄直閃石の産地として横根山鉱山の名称が記載。
東京大学総合研究博物館に横根山鉱山のパイロクスマンガン石、紅砒ニッケル鉱、ばら輝石などが収蔵されている。
吉田鉱山(よしだこうざん)
主な産出物:マンガン
場所:栃木県安蘇郡照沼町飛駒(現在の栃木県佐野市飛駒町付近)
明治時代に吉田なる人物により露頭が採掘され、大正8年に今井鉱業株式会社の所有となり本格的に採掘され、その後に日の元鉱業株式会社が経営を行った。
露頭を採掘していたほか、通洞坑、中切坑、1号坑などの坑道での採掘もおこなっていた。また周囲にはそれよりも古い旧坑道もいくつか有ったとのこと。
吉田鉱山のマンガンには微量のウランも含まれていたとの調査報告もあり。
出典:マンガン鉱床における1かせ断層について、栃木県吉田鉱山のウラン、日本地方鉱床誌関東地方
ら行の鉱山
菱苦土大釜鉱山・大釜苦土鉱山(りょうくどおおがまこうざん)
場所:栃木県葛生町仙波(栃木県栃木市鍋山町付近)
昭和32年4月に操業された鉱山で、田沢大釜鉱山に隣接していたとの事。ドロマイトを採掘。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
わ行の鉱山
若松鉱山(わかまつこうざん)
場所:栃木県上都賀郡西方村真名子(現在の:栃木県栃木市西方町真名子)
マンガンに関する鉱石が採れたとの事。
出典:日本地方鉱床誌関東地方
コメント