小川町は青山の鉱山探索

埼玉県

探索日:2024年12月7日

この日は埼玉県は小川町の鉱山や石碑の石材採掘遺跡などを探索しました。
まずは小川町は青山に有るという旧坑を探します。

こちらは以前に『ろばあと様』から頂いた情報を元に、露天掘り跡を探索しました。
その時の探索記事は以下から。

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探索では本命の旧坑は見つける事が出来ず。

しかし、継続的な調査を行う中で、当時の鉱区図を見つけ、そこに坑口が書かれていたのを発見します。
今回はこの鉱区図を元に探索に向かいます。

小川町は青山の旧坑とは

小川町青山の旧坑とは『小川町の自然地質編』に記載の有る坑道です。

こちらには2枚の坑口の写真と坑道図と共に、以下の説明が有ります。

青山の旧坑
昭和10年に金山地区の大木粂次郎氏がはじめた鉱山との事である。8年間ほど稼行され、人夫は多い時で7~8人、手掘りで、月に一度ほど発破を使っていた。
鉱山ではトロッコを使用して鉱石を運びだし、南京袋につめてリヤカーで小川町駅まで運んでいたとの事である。
旧坑内やズリ場では採掘鉱物らしきものは確認できなかったが、ニッケルやクロムを採掘していたと思われる。

今回見つけた鉱区図は以下の物。
銅の試掘鉱区として埼玉県武蔵国比企郡大河村大字青山地域の図が有ります。

その鉱区図をよく見ると2箇所の坑道が描かれています。

これは探していた坑道に違いありません。
鉱区図を国土地理院の地図に落とし込み、現地を特定していざ探索に向かいます。

なおこの鉱区図は明治丗八年の二月に瀧上辰之助氏により出願されています。
しかし、『小川町の自然地質編』には大木粂次郎氏が昭和10年頃に始めたと書かれており、明治丗八年の鉱区図に坑道が描かれているのは時代が合いません。
資料が間違っているのか、別の場所を指しているのか、もしくは一度は休山となった坑道を再度採掘したのか、今となっては確認が難しいですが気になるところです。

青山の鉱山探索

さて、青山の鉱山探索です。
探索は小川町駅からスタート。

 

槻川を覗き込むと溜まりに小魚が集まっていました。

 

槻川を渡って青山方面へ。
正面の山の中のどこかに目指す坑道が有るはずです。

 

地図と照らし合わせて坑道が有ると思われる付近の山に入ります。
山に入っていきなり崖に穴らしき物が見えます。

 

早速坑口発見かと思い斜面を駆け上がったら、まさかの試掘。

試掘にしてはしっかりした形になっているので、掘ろうとしたけど止めた感じでしょうか。

 

試掘跡付近のズリ石。

 

試掘とは言え鉱山の痕跡を見つけたので、この岩山付近を調べていきます。

 

岩山をトラバースしていると足元に大きな穴!

 

回り込んでみると人為的にまっすぐ掘り込まれた穴が出てきました。

 

穴の奥は坑道となって岩の中に続いています。
どうやらここが探していた青山の旧坑の様です。

 

この部分を上部から撮影した動画は以下です。

埼玉県小川町は青山の鉱山跡の動画

 

鉱区図や『小川町の自然地質編』では坑道が2つあると書かれているので、もう1カ所も探してみます。
崖の周囲を眺めてみると上部に何か穴か窪みらしき物が有ります。

 

画像では分かりにくいのですが、崖の途中には階段の様に岩が削られた場所も有ります。

 

階段を上ると2つの坑口が出てきました。
手前の綺麗な長方形に掘られた坑口。

 

その隣には規模の広い坑口。

 

まずは長方形の坑口を坑道を探索。
こちらは階段があり下の方へと続いています。

 

しかし階段を降りたところで行き止まり。
奥行きは数メートル程。

 

坑道内の岩はこんな感じ。
蛇紋岩とかでしょうか。

 

しっかりした坑口なのに、坑道はかなり短かったですね。

 

お次はお隣の少し規模の大き目な坑道内を確認します。
こちらは左がまっすぐに掘られ、右は斜め下へと掘られています。

 

明り取りか鉱脈が有ったのか、窓状に穴も開いています。

 

左側の四角い坑道を進んでみます。
こちらは結構狭いので屈んでいかないと進めません。

 

こちらは右下の坑道。
土砂がなだれ込んでいるようですが、奥にも続いている感じです。
かなり狭いのでこちらの探索はパスします。

 

左側の坑道をちょっと進むと左右に分岐。

 

分岐の真ん中には何かの鉱脈らしき物が見られます。
どうやらこれを追って左右に坑道を掘り進めたようです。

 

分岐の左側の坑道。
こちらは5メートルほど先でお終い。

 

分岐の右側の坑道を進みます。

 

少し進むと突き当り。

 

突き当りの真ん中には穴があいています。

 

覗き込んでみたら下の坑道を繋がっている様です。
多分ですが、最初に見つけた坑道と繋がっているのだと思います。

 

こちらの坑道内を探索した動画を撮影したのでYoutubeでどうぞ。

埼玉県小川町は青山の鉱山の上部坑道内の動画

 

この坑道はここまでなので、戻って最初に見つけた下部の坑道を確認しに行きます。

 

この坑道の入り口付近。
画像では分かりにくいのですが、岩がガッツリ掘り込まれており割れ目の様になっています。
実際に見るとかなりの迫力です。

 

振り返るとこんな感じになっています。

 

こちらの坑口付近にも鉱脈らしき筋が見えます。
これを追って掘ったのでしょう。

 

坑道内へ。
メインの坑道は真っすぐに進んでおり、右下にも掘り込まれています。

 

右下の採掘跡。
一番下に穴が有るので、さらに下部の坑道が有るのでしょうか?
高さが結構あり、降りても登ってこれなくなったら怖いので下部の確認はパスします。

 

ちなみにこの採掘跡壁面をよく見ると、足を掛けるために掘ったと思われる窪みが残されています。
当時は梯子を掛けず、この斜面を登り下りしていたのでしょう。

 

坑道を奥に進んでみます。

 

 

正面は行き止まり。

 

斜め後ろにはゴミが捨てられている坑道。

 

奥は斜め上に続いているようですが、土砂が流れ込んでいます。

 

位置的に先に確認した坑道の↓の画像の部分に繋がっているのだと思われます。

 

そしてもう一か所階段が有るので登ってみます。

 

階段を上った先は行き止まり。

 

天井を見上げたら、穴が上部と続いています。

予想通り先に確認した坑道の下の画像の穴と繋がっていました。

 

こちらの坑道もここまでなので引き返します。
帰りがてら坑道内の石の様子を観察。
蛇紋岩的な岩の鉱脈部分から、資料の通りニッケルやクロムなどを採取していたのでしょう。

 

2つ目の坑道内を探索した動画も撮影したのでYoutubeでどうぞ。

埼玉県小川町は青山の鉱山の下部坑道探索動画

 

資料上の2つの坑道を確認したのですが、一応周囲をさらにチェックします。
岩沿いに奥へ進むと立派な坑口が出てきます。これは資料には無い坑口です。

 

立派な坑口なのである程度奥まで有るのでは・・・と思いライトで照らしたら試掘。

 

この坑口ですが採掘途中だったのか削岩機の跡が残っています。
となると比較的近代に掘っていた場所の様ですね。

 

さらに周囲を見て回りますが、これ以上は何もなさそうなので青山の旧坑探索は終了。
明治時代の鉱区図を頼りに発見することが出来て良かったです。

お次は下里・青山板碑製作遺跡の割谷地区の採掘跡を見に行きます。

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