割谷の下里・青山板碑製作遺跡探索

埼玉県

探索日:2024年12月7日

小川町青山の鉱山探索後は、割谷の下里・青山板碑製作遺跡を見に行きます。

小川町は青山の鉱山探索
探索日:2024年12月7日 この日は埼玉県は小川町の鉱山や石碑の石材採掘遺跡などを探索しました。 まずは小川町は青山に有るという旧坑を探します。 こちらは以前に『ろばあと様』から頂いた情報を元に、露天掘り跡を探索しました。 ...

 

下里・青山板碑製作遺跡とは小川町に複数ある板碑の採掘跡の総称で、その中でも割谷、西坂下前A、内寒沢の3地区が2014年に国の史跡に指定されました。
板碑製作遺跡では板碑と呼ばれる板石製の塔婆の原料となる、青石と呼ばれる緑泥石片岩を採掘していました。
主に鎌倉時代から室町時代に採掘が行われていたとの事です。

下里・青山板碑製作遺跡の中でもまず最初は割谷地区の採掘跡へと向かいます。

青山の鉱山探索を行った後は、仙元山を越えて割谷地区へ。
途中で仙元山見晴らしの丘公園や青山城址などにも立ち寄りましたが、そちらは別の小ネタ記事でまとめようと思います。

 

仙元山を越えて割谷地区の遊歩道入り口へ。

 

そこから少し下ると、割谷地区の板碑制作遺跡の入り口が出てきます。

 

入り口わきからいきなりズリ斜面。

 

ズリ斜面脇にあるルートを進みます。
ズリ斜面は危険なので立入禁止のロープが張られています。

 

登り道の足元も板碑の平べったいズリだらけ。

 

平場の奥に採掘跡が有ります。

 

採掘跡前には案内板。

案内板には以下のように書かれています。

国指定史跡
下里・青山板碑製作遺跡 ー 割谷地区 ー
下里・青山板碑製作遺跡は、武蔵型板碑の石材である緑泥石片岩の採掘から板碑形への加工の工程が初めて明らかになった遺跡群の総称です。小川町大字下里・青山地域で発見された19か所の遺跡の内、割谷地区(割谷遺跡)、西坂下前A地区(西坂下前A遺跡)、内寒沢地区(内寒沢遺跡)の3地区が平成26年10月6日付けで国史跡に指定されました。
13世紀になると仏教信仰の高まりを受け、石塔の一種である板碑の造立が盛んになります。緑泥石片岩製の武蔵型板碑は関東地方を中心に5万基も確認されており、小川町下里・青山地域の19か所の遺跡の時期と、関東で多くの板碑が造立された14世紀中頃から15世紀後半の時期が一致することなどから、この遺跡群は関東地域の板碑造立を中心的に支えた生産地と考えられます。
遺跡は採掘に伴う谷状地形、ズリ平場、ズリ斜面、露頭、採石痕が残る岩塊などで構成されます。採掘に伴い設置した2本のトレンチの試掘調査では、第1号トレンチから三段の階段状となる採掘遺構が検出され、中段の一畳大の板石の横断面には採石のための矢穴痕や工具痕が確認されました。また、第2号トレンチでは板碑製作に伴う工具痕や打撃痕をのこす細いくず石の集中区が検出され、さらに近くから製作途中の板碑未成品や石材未成品が出土し、板碑の製作過程が考えられます。
今回の板碑製作遺跡の発見は板碑の生産と流通のあり方を知る上で重要な発見であるとともに、中世の仏教信仰を考える上でも重要な発見となりました。

 

こちらが発掘された採掘跡。

 

ズームしたら採掘跡の上部の岩に、石を割るための矢穴が残る岩も見られます。

 

奥にもブルーシートがかけられた採掘跡らしき物が有ります。

 

上部から見た遺跡全体の様子。

 

ウロウロしていたら石英の塊も落ちていました。

 

遺跡への入り口付近は通行止めになっていますが、徒歩では入れるとの事。

 

近くには板碑が沢山祀られている場所も。
これらの板碑も割谷の板碑遺跡から切り出されたものなのでしょう。

 

山を下って槻川を渡ります。

 

割谷地区の板碑製作遺跡を見終わったので、お次は西坂下前A地区の板碑製作遺跡を見に行きます。

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