秩父市
秩父鉱山
場所:埼玉県秩父市中津川字小倉沢周辺
秩父鉱山は16世紀後半頃より金を目的に採掘が始まったとされている鉱山です。
戦国時代には武田信玄が金鉱を求めて採掘したとされ、江戸時代には幕府の命を受けて平賀源内も試掘を行いました。
明治時代に入り東京の柳瀬商工が金、銀、銅、鉛、亜鉛などを採掘するも終戦とともに休山。昭和12年に入り当時の日窒鉱業株式会社が買収し、金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄、鉄鉱、珪砂などを採掘しました。1978年には金属の採掘を中止し、結晶石灰の採掘ののみを継続していましたが2022年9月30日にその石灰採掘も終わり閉山となりました。
秩父鉱山は中津川の小倉沢を中心に広範囲にわたって様々な鉱床が有りました。
参考:『続・秩父鉱山』『埼玉県地下資源報告書』『秩父案内記』『日本地方鉱床誌関東地方』他多数
大黒鉱床
大黒沢付近にある鉱床でマンガン、磁鉄鉱、黄鉄鉱、亜鉛などの金属が多く採掘され、大黒沢に沿っていくつもの坑口が有ります。
主な坑道・坑口には上一番坑口、上二番坑口、上三番坑口、上四番坑口、上五番坑口、上六番坑口、上七番坑口、大黒通洞坑、下一番坑口、下二番坑口、下三番抗口、下四番坑口、下五番坑口などがありました。
秩父鉱山の中心的鉱床でもありました。
渦の沢鉱床(ウズの沢鉱床)
中津川集落奥の渦の沢の沿って位置した鉱床です。
露天掘り跡などが残されているとの事です。
中津鉱床(中津第一鉱帯)
中津川集落付近にある鉱床で、沢沿いや上部の尾根付近などに坑道や露天掘り跡などが有るようです。
主な坑道には中津坑などが有りました。
やせ尾根鉱床(中津第三鉱帯)
中津川と神流川の間の尾根上に位置する鉱床です。
幾つもの坑口が残っているとの事です。
山鳥窪鉱床
出合の分岐から神流川沿いを上流に歩いていくと、最初に出てくる鉱床です。
神流川沿いに幾つかの坑口が残っています。
かつて神流川沿いに自然金の出た鉱脈が有ったとの事です。
滝上鉱床
大黒橋付近に位置する鉱床で、大黒橋からも対岸の急斜面に滝上鉱床の坑口(滝上坑)を見る事が出来ます。
また滝上鉱床と山鳥窪鉱床の間には滝下坑も有りました。
斎藤沢鉱床
橋掛沢手前の社宅跡の裏手にある斎藤沢に位置した鉱床で、石灰の鉱床などが有りました。
塞がれた坑口などが残っているとの事です。
和那波鉱床
和那波沢上流部に有った鉱床で、露天掘り跡や坑口などが残っているとの事です。
石灰沢鉱床
石灰沢上流部に位置する鉱床で、坑口などが残っているとの事です。
六助鉱床
秩父鉱山の北西に位置した六助沢上部に有った鉱床です。
主な坑道・坑口には新坑三番坑、第二道下坑などが有りました。
白岩鉱床
ニッチツ鉱山の工場付近北側に位置している鉱床で、一号坑などの坑道が有ったとの事です。
赤岩鉱床
雁掛峠下部付近に位置した鉱床で、西通洞坑などの坑道が有りました。
道伸窪鉱床
磁鉄鉱や黄鉄鉱の鉱床があり、道伸窪通洞抗、九百米坑(900m坑)などが有りました。
狩倉鉱床
トゲの沢上部に位置した鉱床です。
両神鉱床
ゲタヤ坂沢付近に位置した鉱床で、主に石灰や珪砂を採掘していました。
※秩父鉱山関係は「ろばあと様」の資料を元に作成。
各種石灰鉱山
秩父市には武甲山周辺など多くの石灰鉱山が有り、主な石灰鉱山には以下が有ります。
- 秩父鉱山(ニッチツ):埼玉県秩父市中津川字小倉沢
- 秩父石灰工業「武甲工場」:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬
- 武甲鉱業株式会社「武甲鉱山」:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬
- 菱光石灰工業株式会社「宇根鉱山」:埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬
- 秩父鉱業株式会社「秩父鉱業所」:埼玉県秩父市大字上影森
- 秩父太平洋セメント株式会社「三輪鉱山」:埼玉県秩父市上影森
秩父市のその他鉱山
和銅採掘跡
場所:秩父市黒谷1918番地
銅の露天掘りが行われた遺跡。
飛鳥時代にこの地で銅が採掘され、元明天皇に献上され元号が和銅のなった謂れがある。
またその銅を元に日本最初の通貨である和同開珎を発行したとされている。
金山鉱山
和銅採掘遺跡の近くに有る500年から300年前の銅採掘跡。
金山(かなやま)は地名で、金の採掘では無く銅の採掘を行っていた。
現在も3つの坑口が残っている。
案内板では8つの坑口と、未復元ながらさらに6つの採掘跡が有ったとの記載がある。
場所:埼玉県秩父市黒谷の金山地区
中津川鉱山
場所:埼玉県秩父郡大滝村(現在の埼玉県秩父市中津川)
秩父鉄道三峰口駅の西方約30Km。
黄銅鉱や黄鉄鉱を産出し、1954年の時点で第一鉱業株式会社が探鉱を行っていた記載あり。
参考資料:『日本鉱産誌』
妙法鉱山
場所:埼玉県秩父郡大滝村(現在の秩父市大滝)
秩父鉄道秩父駅の西方約10Km。妙法岳付近。
黄銅鉱や黄鉄鉱を産出し、1955年時点で日窒鉱業が探鉱中であった。
参考資料:『日本鉱産誌I-B』
秩父妙法鉱山
場所:埼玉県秩父郡大滝村(現在の秩父市大滝)
上記の妙法鉱山と同じものかは不明だが、『日本鉱産誌I-C』に磁鉄鉱を採掘していた鉱山として秩父妙法鉱山の名前が有る。
秩父妙法鉱山は戦時中に稼行しており、鉄を54%含む磁鉄鉱の鉱石を産出した。
参考資料:『日本鉱産誌I-C』
荒川鉱山
上記の妙法鉱山が一時期荒川鉱山の名称を用いていた様子。
場所は荒川上流の入川の金山沢付近。
参考資料:『秩父・山里の記憶』
荒川鉱山
場所;旧荒川村日野官林
金井光治氏によりマンガンを採掘。
月産約50トンと記載。
参考資料:『秩父案内記』
股の沢鉱山
場所は荒川上流の入川の股の沢。
古くは戦国時代武田家が金を掘っていたとの事。
昭和期には鉄も採掘していた様子。
参考資料:『秩父・山里の記憶』
安谷川マンガン鉱山(安谷川マンガン採掘抗)
秩父市荒川日野の安谷川沿いにあるマンガン採掘跡。
層状チャートにはさまれた、厚さ数cm ~十数cmのマンガン鉱脈を採掘していた様子。
参考資料:『ジオパーク秩父』
三ツ峰鉱山
場所:埼玉県秩父郡大滝村(現在の秩父市大滝)
秩父鉄道三峰口駅の西方約10キロ
黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱を産出。
1953年時点で宝利六郎なる人物が探鉱中との記載あり。
参考資料:『日本鉱産誌』
平沢鉱山
鉱物採集の旅 1 (東京周辺をたずねて)に記載のある鉱山。
実際には鉱山では無く、浦山地域でマンガンを採掘していた斎藤鉱山の貯鉱場および選鉱場だったとの事。
浦山地区
斎藤鉱山
場所:埼玉県秩父市浦山の柿原山地区。
斎藤庄藏氏により稼行されていたマンガン鉱山。
なお、柿原山地区には他に1か所のマンガン鉱山と、炭酸マンガンの露頭が1か所有ったとの記録が有る。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山持田鉱床
斎藤鉱山として浦山の持田地区において、2か所の坑道(一部旧坑との記載)より炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
持田官林は古くからある地名では無く、林業のために地方から来た人が作った耕地と集落。(秩父市浦山民俗調査報告書より)
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山金倉鉱床
斎藤鉱山として浦山の金倉地区において、2か所の坑道より炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
金倉は秩父市営バスの金倉橋付近と思われる。また、埼玉県の秩父市区域指定総括図に土砂災害特別警戒区域として「金倉」の位置が示されている。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山毛附鉱床
斎藤鉱山として浦山の毛附地区において、3か所の露頭により炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山冠山鉱床
斎藤鉱山として浦山の冠岩地区において、3か所の露頭により炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山横山鉱床
斎藤鉱山として浦山の横山地区において、2か所の露頭と1か所の転石により炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
横山地区はどこに有るのかは不明。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山有間鉱床
斎藤鉱山として浦山の有間地区において、1か所の坑道より炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
有馬山付近もしくは山を越えた有間川周辺か?
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山大神鉱床
斎藤鉱山として浦山の大神地区において、3か所の露頭より炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
大神という地名は無いが大神楽および大神楽沢という地名はある。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山横倉鉱床
斎藤鉱山として浦山の横倉地区において、1か所の露頭より炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
横倉の地名がどこなのかは不明。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
斎藤鉱山営林署官舎
斎藤鉱山として営林署官舎地区(営林署の敷地内の事か?)から、転石により炭酸マンガンを採掘していたと記録がある。
営林署官舎がどこに位置するかは不明。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
日平鉱山
場所:埼玉県秩父市浦山日向地区
加倉井卯之吉氏により稼行されていたマンガン鉱山。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
日平鉱山影森鉱床
場所:埼玉県秩父市浦影森
加倉井卯之吉氏により稼行されていたマンガン鉱山で、2か所の露頭から酸化マンガンを採掘していた。
参考資料:『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
浦山の大神楽にある鉱山
場所:埼玉県秩父市浦山
大神楽にあった鉱山で詳細は不明。坑口は2つ残っている。
「浦山水系誌」に書かれていた「オカグラムコウなる大神楽地区の対岸にフェロマンガンの廃坑がある」の記載の鉱山かも。
上吉田地区
太田部鉱山
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田地区)
酸化マンガン、炭マン、バラ輝石などを採掘していたマンガン鉱山。
品位30~45%のマンガン鉱石を1934年から40年にかけて6253トン産出したとの記録がある。
参考資料:『日本鉱産誌I-c』
三石鉱山
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田太田部地区)
松田博正氏と須崎益三氏により稼行されていたマンガン鉱山。
既に探索済み
参考資料:『日本のマンガン鉱床』『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
城峯鉱山
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田太田部地区)
金井定治氏と宮原正靭氏により稼行されていたマンガン鉱山。
既に探索済み
参考資料:『日本のマンガン鉱床』『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
大峠鉱山
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田太田部地区)
原次郎兵衛氏によりマンガン品位35~38%の鉱石を30トン産出したとの記録が有る。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』
上吉田鉱山
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田太田部地区)
マンガン品位38~40%の鉱石を324トン産出したとの記録が有る。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』
明ヶ平のマンガン鉱山跡
場所:埼玉県秩父郡上吉田村太田部(現在の秩父市上吉田太田部地区)
正式名称は不明の林道明ヶ平沢戸線脇にあるマンガン鉱山。
林道に沿って幾つかのマンガン採掘跡が残されている。
皆野町
日野沢鉱山元山鉱床
場所:埼玉県秩父郡皆野町日野沢
昭和30年に林業者により発見され、昭和34年頃から本格的に稼行されたマンガン鉱山。
職員は18名おり、月産300トンの鉱で気を出鉱しており、これまでに1万5千トン以上のマンガン鉱石を産出した。
その鉱石は東北電化工業、三井金属竹原工場、神戸製鉄所などに出荷された。
探索済み。
参考資料:『埼玉県地下資源報告書』
日野沢鉱山若浜鉱床
場所:埼玉県秩父郡皆野町日野沢の若浜地区
上記の日野沢鉱山元山鉱床と一体的に採掘されていたマンガン鉱山。
若浜鉱床は元山鉱床よりも後に発見され採掘が行われた。
探索済み。
参考資料:『埼玉県地下資源報告書』
藤原のカナ穴
埼玉県皆野町の藤原地区にある、マンガン採掘跡。
探索を行い発見はできなかったが、地元の方より藤原地区の試掘跡(カナ穴の名称は出なかったが)について「鉱山ブローカーにそそのかされた人が採掘を行ったが何も出なかった」との話を伺った。
参考資料:『皆野町誌自然編』
小鹿野町
両神鉱山
場所:埼玉県秩父郡小鹿野町両神穴倉地区
佐藤善藏氏により稼行されていたマンガン鉱山。
この鉱山の他、近くには3か所の炭酸マンガンの露頭が有ったとの記録有。
日本のマンガン鉱床では鉱業権者は坂本正雄氏となっており、マンガン品位45%の鉱石を約8トン産出したと記録が有る。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』『埼玉県下に於けるマンガン鉱予備調査報告書』
野田鉱山
場所:埼玉県秩父郡小鹿野町両神(旧両神村)
試掘番号658番、823番
参考資料:『満俺鉱山名簿』
横瀬町
二子山鉱山
場所:埼玉県秩父郡横瀬町大字芦ヶ久保(旧芦ヶ久保村)
秩父駅から約4Kmに位置するマンガン鉱山で、マンガンを32%含んでいた鉱石を8トンほど採掘した。
芦ヶ久保駅の南に二子山がある事から、その付近に有ったと思われる。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』
横瀬鉱山
場所:埼玉県秩父郡横瀬町(旧横瀬村)
マンガン鉱山でマンガンが28%から30%含まれた鉱石を592トン採掘した。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』
赤谷鉱山
場所:旧横瀬村芦ヶ久保
浅見好行氏により鉄とマンガンが月に30トンほど採掘されていたとの記録有。
参考資料:『秩父案内記』
大指鉱山(おおざしこうざん)
場所:埼玉県秩父郡横瀬町(旧横瀬村)
採掘番号917番のマンガン鉱山。
太平洋戦争時にマンガンを採掘出荷していたと記録があるが直ぐに休坑となった様子。
参考資料:『満俺鉱山名簿』『横瀬村史』
大持山鉱山
場所:埼玉県秩父郡横瀬町生川
試掘番号:907番のマンガン鉱山。
太平洋戦争時にマンガンを採掘出荷していたと記録があるが直ぐに休坑となった様子。
参考資料:『満俺鉱山名簿』『横瀬村史』
大倉鉱山
場所:埼玉県秩父市荒川白久と小鹿野町両神
(旧秩父郡白川村と両神村大倉山)
試掘番号:682番のマンガン鉱山。
参考資料:『満俺鉱山名簿』
二子山鉱山
場所:秩父郡横瀬町大字芦ケ久保(旧芦ヶ久保村字松枝)
試掘番号:852番
参考資料:『満俺鉱山名簿』
秩父銅鉱山
場所:埼玉県秩父郡横瀬村(旧芦ヶ久保村)
秩父鉄道秩父駅の東方約5Kmの、横瀬川支流に位置していた。
黄銅鉱、黄鉄鉱を産出。
参考資料:『日本鉱産誌』
武甲山麓の金属鉱山跡
場所:埼玉県秩父郡横瀬町横瀬
武甲山麓の生川沿いにある金属鉱山跡。
川を挟んで幾つかの坑道が残されている。
上記の横瀬鉱山や横瀬銅鉱山の可能性も有るが現在は不明。
根古谷鉱山(根古屋鉱山)
場所:埼玉県秩父郡横瀬町
横瀬町の根古屋地区位置していたマンガン鉱山。
既に探索済みで沢沿いを中心に複数の採掘跡が残っていた。
参考資料:『日本のマンガン鉱床』『横瀬村史』
大野峠麓のマンガン試掘跡
場所:埼玉県秩父郡横瀬町大字芦ケ久保
芦ヶ久保から大野峠に向かう登山道脇にあるマンガン試掘跡。
宇遠鉱山
場所:埼玉県秩父郡横瀬町
宇遠橋の麓にあったマンガン鉱山。過去に宇遠鉱山の名称で同じ地区に石灰鉱山も有ったようだがこれば別のマンガン鉱山。
江戸時代中期からその地区の名主が採掘していたそうで、旧坑が数本あるとの事。
位置的に既に探索している「武甲山麓の金属鉱山跡」が宇遠鉱山と思われる。
参考資料:『横瀬村史』
生川鉱山
場所は不明だが横瀬町の生川の周辺にあると思われるマンガン鉱山。
太平洋戦争時にマンガンを採掘出荷していたと記録があるが直ぐに休坑となった様子。
参考資料:『横瀬村史』
津久井沢鉱山
旧芦ヶ久保村津久井澤にあった鉱山。
秩父市の横川新一氏により、鉄とマンガン鉱石を太平洋戦争中に採掘していたとの事。
参考資料:『横瀬村史』
明尾澤鉱山
詳細は不明だが、武甲山丸山の麓に有った鉱山。
銅を採掘していたとの事。
参考資料:『横瀬村史』
六番鉱山
横瀬町字苅米にある鉱山で黄銅鉱を採掘していたとの事。
大正年間に採掘が行われ、百尺余り(約30メートル)の立坑を降りて北に300尺の横坑が有った。
戦時中には秩父市の横川新一氏により経営されるが目下廃坑であったとの事。
参考資料:『横瀬村史』
秩父炭坑
旧横瀬村字根古谷川久保に有った炭鉱。
明治初年に半粘結炭を採掘。炭層が東西に走り数百尺も有ったとの事。
参考資料:『横瀬村史』
長瀞町
西浦採掘銅坑
場所:埼玉県長瀞町大字井戸21
銅を採掘していた坑道跡で荒川の右岸付近に位置している。
高さ1.5mから4m、幅2.4m、延長80~100m近い坑道がほぼ崩落することなく残っている。
既に探索済み。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』『長瀞町誌長瀞の自然』『長瀞町Webサイト』
天神山の銅採掘跡
場所:埼玉県長瀞町大字井戸
西浦採掘銅坑直ぐ脇の天神山山麓にある銅採掘跡。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』
銅の入沢銅鉱山
場所:秩父郡長瀞町井戸銅の入
銅を採掘していたとみられる坑道跡で、銅の入り沢に沿って4つの坑口が残っている。
既に探索済み。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』
古沢銅採掘坑
場所:秩父郡長瀞町井戸古沢
銅を採掘していたとみられる坑道跡で、試掘程度の小規模坑道が残っている。
既に探索済み。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』
金石銅鉱山
場所:秩父郡長瀞町本野上金石
銅を採掘した跡で、荒川沿いの左岸に坑道跡が残っている。
坑口は3つあり中で繋がっているとの事で、一番長い坑道は約20メートルの長さとなっている。
既に探索済み。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』
野上銅山上みの抗
場所:秩父郡長瀞町本野上奈良沢
銅を採掘した跡で、奥行き約20メートルの坑道が残っている。
既に探索済み。
参考資料:『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』
野上銅山天神入抗
場所:秩父郡長瀞町本野上奈良沢
銅を採掘した跡で、過去には3つの坑口が有ったとの事。
現在は約6メートルと11メートルの坑道が残っている。
野上鉱山
場所:埼玉県秩父郡野上町藤谷淵(現在の埼玉県秩父郡長瀞町長瀞)
秩父鉄道本野上駅(現在の野上駅)から東方約1.5Kmに位置していた。
孔雀石、赤銅鉱、自然銅、黄銅鉱、褐鉄鉱などを産出。
もしかしたら上記の野上銅山と同じかもしれない。
参考資料:『日本鉱産誌』
長瀞町のその他の鉱山
- 旧野上村の井戸地区には銅の採掘跡が週数か所点在。
- 旧野上村の長瀞河流の荒川沿いには深さ数十間(1間約1.8メートル)の横穴が十数か所ある。
- 宝登山山麓に3~4ヶ所の横穴が存在し、江戸時代に金掘りが採掘していた。
- 太平洋戦争時、宝登山一帯の地域がニッケル鉱の試掘用に権利が登録されていた。
- 太平洋戦争時、横瀬村、影森村、荒川村、浦山村、上吉田村、三田川村、両神村、大滝村の各村では、様々な採掘や試掘が行われその数は数百か所に上った。
(上記いずれも秩父案内記に記載有り)
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