桐生市の大沢鉱山(菱田鉱山大沢鉱床)探索

桐生市

探索日:2024年11月29日

この日は某先生と桐生市のマンガン鉱山探索に向かいました。

 

備考では有りますが、今回の鉱山が位置する、桐生市と旧黒保根村の鉱山一覧は以下の記事にもまとめています。

群馬県桐生市と旧黒保根村の鉱山一覧
群馬県桐生市の鉱山について 昨今主に探索を行っている群馬県桐生市の鉱山一覧を、情報整理の為まとめてみました。 桐生市はマンガン鉱山を主として、石灰鉱山、砥石鉱山、タングステン鉱山などが有ります。 群馬県桐生市は群馬県の南東部に位置...

 

まず最初はマンガンを採掘していた大沢鉱山へ。
この鉱山の位置は事前に把握していたので、比較的簡単に到達できるはず。

 

林道脇に先生の車を停めて、大沢と思われる沢に入って行きます。
沢は珍しく平らに慣らされ歩きやすと思っていたら、前方に砂防堰堤が出てきます。

 

どうやらこの砂防堰堤の工事用に、以前は道が作られていたようです。

 

砂防堰堤の脇を巻いて登ります。

 

砂防堰堤の上部には土砂が堆積ており、ここからは大沢鉱山のズリ石と思われる黒い石も出てきます。

 

マンガンを含むと思われる黒いズリ石。

 

先生は砂防堰堤のズリ石を調査。

 

私もズリ石拾い。
結構ここのズリには石英脈が含まれているものが多いです。もしかしたら水晶が拾えるかも。

 

砂防堰堤を越えると沢も荒れて厳しくなります。

 

そしてズリ石も増えてきます。

 

ここでも石英探し。
もう少しで水晶という感じの石英が見られます。

 

沢のズリを見ていると、キラリと光る物を発見。
拾ってみたら、1センチちょっとですが、頭がかけていない綺麗な水晶を発見。

 

沢を登ると斜面の脇が一面ズリ石となっている場所が出てきます。
この斜面の上に大沢鉱山の坑口が有りそうです。

 

ズリ斜面の周りを確認すると石組が出てきます。

 

石組の上には平場。
鉱山稼行時は鉱山関連の建物が有ったのでしょう。

 

ズリ斜面を登って坑口を探します。

 

ズリ斜面は結構な斜度かつ、ズリで足元が崩れ登るのがきつい。

 

そんな斜面を登っていくと、倒木の奥に坑口らしき穴が出てきます。

 

倒木と枯れ枝を蹴散らし、大沢鉱山の坑口に到達。

 

坑口から坑道内を照らしてみます。
ちょっと先で崩落なのか奥行きが無いように見えますね。

 

とりあえず確認の為、準備をして先生と共にいざ坑道内へ。

 

突き当りの行き止まりに見えた場所、実はここで坑道が左右別れた丁字路になっていました。

こちらが右側の坑道。

 

こちらが反対の左側の坑道。

 

まずは右側を確認してみます。
右側の坑道には軌道が有った様で、枕木を設置していたと思われる跡が残っています。

 

坑道は左の方へとカーブして進んでいきます。

 

坑道内には石英脈も見られます。

 

坑道は左へ左へとカーブして続きます。

 

もうそろそろ半周したのでは・・・というぐらい左カーブし、あるところで直線になります。

 

と思ったら崩落で行き止まり。
この部分の右面は断層のすべり面なのか、綺麗な平面になっていますね。

 

崩落の先も空洞が有るようなので、この奥上部の採掘地点から崩れてきたのでしょう。

 

来た坑道を戻って坑口へ。
今度は左側に進んでいた坑道を確認します。

 

左側の坑道を進みます。

 

こちらは直ぐに採掘エリア。
至る所が掘り込まれています。

 

マンガン鉱脈が斜めに有ったようで、その部分が掘り込まれています。
竜頭(残柱)や坑木も残されています。

 

奥側の採掘跡。
この奥も坑道が続いていたようですが、崩落して埋まっています。

 

採掘エリアの写真も。

 

坑道内に残された、マンガン鉱脈。

 

脇にもいくつかの採掘坑道が残るので、内部を調査する先生。

 

坑道内を一通りチェックしたので、外に出ます。
この規模のマンガン鉱山だと他にも採掘跡が有りそうなので、斜面を確認します。

 

斜面というか崖なのですが、登って上部を確認。

 

すると予想通り穴が出てきます。

 

こちらは鉱脈に沿って複数の穴。

 

斜め下に掘られています。
もしかしたら先ほどの坑道まで繋がっているかも。

 

この斜面画像では分かりにくいですが、足を滑らしたら真っ逆さまな角度なので慎重に歩きます。

 

切り立った崖にも採掘跡。

 

その延長線上にも採掘跡。

 

丸い採掘跡。

こちらもちょっと掘った程度。

 

さらに広い範囲を探索。
坑口の上部から少し北に位置した場所に、露天掘り跡か坑道が陥没したと思われる窪み。

 

陥没の周囲にはマンガンのズリ石らしき黒い石がゴロゴロしているので、鉱山関係の穴には間違いなさそうです。

 

近くに坑口が有りましたが、坑口のすぐ先で崩落しています。

 

坑口上部の斜面を一通りチェックしたので、ズリ斜面下の平場まで下ります。
ズリ斜面の奥を確認していたら別の石組を発見。

 

その上も平場になっていたので、小屋でも有ったのでしょう。

その証拠に、湯飲みらしき陶器の破片。

 

そしてふと上部を見上げると、穴が有るんですよ。

 

岩の真ん中に・・・。

 

見つけたからには確認しないとです。

取り付いた岩場には、マンガンが有ったと思われる場所が丁寧に削り取られています。
こんな場所までしっかり採掘していたのですね。


 

高さの感じが出ませんが、岩場に張り付いて歩きます。
崖と言えど採掘していただけあって、人が一人やっと通る部分の幅は有ります。

 

この崖にもいくつかの採掘跡が残されていました。

 

崖から降りて最後は少しだけ鉱物採集。
バラ輝石と、何かがグズグズになった石が採れました。

菱田鉱山大沢鉱床について

今回の探索後に資料を調べていたら、『地質調査所月報 13(8)』に菱田鉱山大沢鉱床の坑道図が掲載されており、『日本のマンガン鉱床補遺』『国内鉄鋼原料調査 第1報』にも菱田鉱山の大沢鉱床としての情報が掲載されていました。

まず菱田鉱山大沢鉱床についてです。

菱田鉱山大沢鉱床の歴史

大沢鉱山は戦時中は指定鉱山であったが、昭和24年より小林勇氏の所有となり昭和27年まで稼行された。
その後昭和30年頃まで山村猛夫氏に鉱業権が移り、しばらく稼行されたが昭和32年9月に愛宕鉱業株式会社が買収し、昭和33年2月から稼行した。
昭和36年に浜横川鉱業株式会社との共同鉱業権となった。

昭和25年から31年までに平均品位35~36%のマンガンを約1,300トン出鉱した。

菱田鉱山大沢鉱床の坑道図

菱田鉱山大沢鉱床の坑道図ですが、今回探索した状態と全く同じだったので間違いないと思われます。
坑道は崩落により閉塞していましたが、往時はかなり奥まで坑道が続いていた様です。

 

『国内鉄鋼原料調査 第1報』においては以下の記載が有ります。

大沢鉱床は上部の旧坑から、順次下部へ大沢新坑、大沢坑、東西坑等によって開発されたが現在休山中であり、大沢坑坑準以外は入坑不能である。
大沢坑坑準においても南西方面は天盤崩落のため調査不能であり、調査可能なところでも往時の竜頭あるいは小残柱として掘り残された抗体が小部分見られただけである。
しかし大沢坑坑準における𨫤押と思われる坑道がN40°Eの方向に約100メートル近く掘られており、坑内実測図や上部坑道との関連等から推測すると、断層、褶曲等の為鉱体の膨縮は有ったとしても、マンガン鉱体の連続が有ったのではないかと思われる。
上記資料は1963年の出版ですが、その当時から大沢坑以外は入れないことや、崩落地点および竜頭や小残柱のエリアは確認できたことが分かります。

さて、鉱山探索ですが、お次は大恵鉱山に先生をご案内します。

桐生市の大恵鉱山再訪
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