探索日:2023年11月2日
桐生市の小規模マンガン鉱山探索後は、同じく桐生市でマンガンを採掘していた倉ノ沢鉱山を目指します。
倉ノ沢鉱山とは
倉ノ沢鉱山(倉の沢鉱山)は現在の群馬県桐生市梅田町四丁目付近の倉ノ沢にあるマンガン鉱山です。
資料によると当時の栃木県安蘇郡田沼町飛駒にあり、鉱山に至るには飛駒村穴切集落より徒歩10分となっています。
また、倉ノ沢鉱山には約360メートルの索道があり、鉱石を索道にて県道まで運搬していました。
鉱山の歴史としては、昭和の初期に発見され、昭和12年から26年ごろまで岩重登氏が所有し2700トンの鉱石を出鉱していました。
同26年からは平山伝治氏の手に渡り、昭和29年までに2700トンの鉱石を出鉱、同29年からは愛宕鉱業株式会社の手に渡っています。
戦時中は指定鉱山にもなっていました。
坑道は第一坑、第二坑があり、第一坑は竪坑にて、下一番、下二番、下三番、下四番の坑道へと繋がっていました。
倉ノ沢鉱山探索
さて倉ノ沢鉱山の探索です。
まずは倉ノ沢と思われる沢に向かいます。
沢を少し登ると目印と思われる砂防ダムが見えてくるので、それを巻いて登ります。
砂防ダムを越えると沢は一面ズリ石で覆いつくされています。
このズリの様子だと、この上部には間違いなくマンガン鉱山が有りますね!
沢を少し登って見下ろすと、眼下には一面のズリが。
沢の斜面のズリです。
この付近の斜面一面ズリなので、かなりの量を掘っていた物と思われます。
沢の一部はズリ石で埋め尽くされそうな感じ。
もしくは過去には埋め尽くされていたのかもです。
そんなズリ斜面の沢を登ると何か平らな石を発見。
近づいてみると、脇には何かの遺構が見られます。
何かの基礎の様です。
鉄筋も残っていることから、参考資料に記載の有った鉱石運搬用の索道の基礎かと思われます。
索道の基礎らしき遺構を後にして、沢を登っていきます。
急な沢ですが、ここもズリで埋め尽くされています。
沢を埋め尽くすほどのズリ山も見られます。
そんなズリ山を乗り越えると、坑口らしきものを発見。
そしてその坑口脇に生える杉の木には、比較的新しそうな熊の爪痕が・・・
手のひらサイズで5本の筋が入っているので、多分熊ですねこれ。
今年は全国的に熊の被害が多いようで気を付けないとです。
さて坑口の方を確認してみます。
坑口付近は水が溜まっています。
奥も結構続いていそうな感じですが、この水の量では奥まで確認できず。
最初の水没坑口を発見後は、さらに沢の上部へと進んでみます。
すると斜面に怪しい場所を発見。
近寄ってみたら試掘的な穴でした。
さらに沢の上部へ。
上部もまだまだズリ山が有るので、坑口が有るようです。
ズリ山を越えて平場を発見。
その平場の右手には坑口らしき穴が見られます。
近寄ってみると坑口。
坑口から中を覗いた様子。
こちらも深く続いていそうですが、トレッキングシューズでは地味に濡れそうなぬかるみで入らず。
そんなぬかるんだ坑道ですが、よく見るとレールらしきものが残っています。
ここは鉱石運搬用のトロッコが走っていたようです。
こんど機会をみて長靴持参で探索したいですね。
さて、さらに沢を登ってみます。
すこし登ると再び平場が出てきます。
その平場脇には崩落した坑口らしきものが残されています。
状況からここにも坑道が有ったようですね。
この付近の斜面を眺めると、まだマンガンのズリ石らしき黒い石がゴロゴロしています。
ちょっと斜面を登ってみると、怪しい場所がちらほら残されています。
写真ではわかりにくいのですが、岩場に人の手で削った様な跡が残されています。
多分この辺りは最初期の露天掘りの跡かと思われます。
そんな露天掘り跡付近から見下ろした倉ノ沢の様子。
倉ノ沢鉱山を一通り見終わったので下山と思ったら、斜面に踏み跡らしきものを発見。
当時の鉱山道路の様です。
少し進むと踏み跡は明確になります。
現在も林業の作業道として使用されているのかも。
その先には岩場を削っている部分も見られたので、ほぼ間違いなく当時の鉱山道跡だと思われますね。
そんな道を下って帰りはスムーズに下山しました。
この後は時間も有ったので、桐生市立中央公民館で行われていた桐生石と群馬石の展示を見に行きます。
コメント