太田市の西山古墳

太田市

探索日:2024年10月31日

ジャパンスネークセンターを見た後は、薮塚駅に向かう途中で見かけた西山古墳に立ち寄ります。

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西山古墳への入り口。
道沿いに看板と階段が設置されています。

 

群馬県の指定史跡との事。
ちなみに今回は立ち寄らなかったのですが、藪塚石切り場跡の近くには北山古墳があるそうです。

 

小高い丘を少し歩くと、西山古墳が出てきました。

案内番には以下のように書かれています。

群馬県指定史跡 西山古墳
指定年月日:昭和二十四年(一九四九)十二月二十日
所在地:太田市藪塚町三五一九-二西山古墳は、八王子丘陵から藪塚温泉の入口北側に伸びる丘陵先端部の標高110メートル付近に前方部を東に向けて造られた前方後円墳です。
全長は34メートルで、後円部は直径18メートル、高さ4メートルです。また、前方部は幅20メートル、高さは2メートルです。南側に開口している埋葬施設である横穴式石室の大きさは、奥行5.8メートル、幅1.9メートル、高さは1.5メートル前後です。
石室の大部分は凝灰岩の割石を使用しており、石室を埋め壊し防止工事の際に調査したところ、遺構の存在が確認されましたが、葬具は見つかっていません。

なお、石室の羨道(せんどう)部分は崩落の危険があるため、コンクリートで補強してあります。なお、石室は盗掘を受けていたため副葬品等は不明です。

この古墳のある場所は、西方の水田面からの高さは17メートルあり、西方の平坦地を見下ろす立地に造られた前方後円墳であることから、周辺にある古墳群の中心的な性格を持つと考えられています。
古墳が造られた時期は、古墳時代後期(六世紀末頃)と考えられています。
平成二十八年三月二十五日
太田市教育委員会

 

こちらは石室。

 

中はこんな感じ。
コンクリート以外にも、鉄の支保工で補強されています。

ちなみに古くはこの石室内で、藪塚石の石切り職人たちにより博打が行われていたことも有った様で、『藪塚本町の民俗 (群馬県民俗調査報告書 ; 第16集) 』には以下の記載が有りました。

博打は石切り場の穴の中とか、古墳の石室でやっていた。西山古墳の石室にローソクやござがあった。開いている家でもやった。大体丁半である。
古墳の全体を見た様子。
正確な形は分かりにくいのですが、前方後円墳らしく二か所の小高い部分が有りますね。

 

西山古墳を見た後は東武鉄道の藪塚駅から電車に乗って帰ります。

 

藪塚駅の跨線橋からは本日歩いた八王子丘陵が一望出来ました。

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