探索日:2025年2月17日
高崎炭田の斉藤炭鉱探索後は、少林山付近の地滑り跡を見に行きます。

少林山付近を歩いていると、碓氷川を挟んだ対岸の土手沿いに盛り上がった高い部分が見えてきます。

この場所は、実は少林山川の山肌が地滑りを起こし、碓氷川を挟んで対岸まで地表が動いて隆起した跡なのだそうです。
少林山寺沢地区の地滑りについて
この地域は古くから地滑りを起こしており、隣接する赤岩地区は明治23年頃から地滑りが起こり始めたとの事。
明治43年8月の大雨による碓氷川の大洪水の際に碓氷川を挟んだ対岸の藤塚地区に氾濫し死者3名を出し、大正9年の6月12日には地滑りにより碓氷川を閉塞し氾濫、昭和10年9月26日にも出水と地滑りが発生、昭和23年6月21日にも地滑りが発生し碓氷川に土砂が流出しました。
今回探索した大規模地滑りの場所は寺沢地区で碓氷川を挟んだ対岸は藤塚地区となっています。
この地滑りは昭和33年9月の台風21号および台風22号により急激に地盤の変化が起こり、地面に亀裂などが発生しました。
後の昭和35年にかけて地滑りが起こり、最大幅約380m、最大長約670m、移動土塊の厚さ約40mの規模で土砂が移動したとされています。
対岸の藤塚地区はこの地滑りにより、4~5メートル隆起しています。
平面図と断面図の画像は「少林山地すべりの経過と現況」より。
また、この地域には斎藤鉱山と思わる炭鉱が地滑りが顕著になった昭和35年以降も坑道掘りにおいて亜炭を採掘しており、坑道内には地滑り面を見る事が出来たとの事。(炭鉱は昭和36年11月30日に閉山されたとの事)
現在は少林山地域においては、地滑りを軽減するため山の斜面を削って公園として整備して斜面の荷重をを少なくする他、地下水を集めて排出する流路などを作って対応を行っています。
少林山の地滑りに関しては、以下の「群馬県建設企画課」の動画も参考になります。

参考資料:「少林山地すべりの経過と現況」「一般社団法人斜面防災対策技術協会 国土交通省 所管 少林山(しょうりんざん)地すべり」
少林山寺沢地区の地滑り跡の探索
さて、少林山の寺沢地区の地滑り跡の探索です。
少林山付近は地滑りや土砂災害関連の看板が、古いのから新しいのまで数多く設置されています。



少林山側は地滑りした場所が明確には分かりにくいのですが、碓氷川を挟んだ対岸はハッキリ隆起した場所が分かります。
少し離れた場所から見た様子。

近くで見ると川沿いの堤防付近が高くなっている場所が有ります。
一見ただの堤防ですが、ここが地滑りで隆起した場所との事。

対岸の正面で見た様子。

さて橋を渡って碓氷川の反対へと向かいます。
碓氷川の堤防沿いの道を下流に向かって歩いていくと、左手側に盛り上がった部分が見えてきます。

近くまで来ると結構な高さが有ります。


隆起が一番高い付近から下流の高崎市側を見た様子。

同じ場所から上流側の安中市側を見た様子。

藤塚地区の住宅街と国道18号線。

碓氷川を挟んだ少林山側。
結構な距離が有りますが、対岸の山肌の地滑りでここまでの地形が変わるのは驚きですね。

お次の記事は、今回の高崎炭田探索で回った色々な場所や小ネタです。

コメント