桑原利平マンガン工場見学

みどり市

訪問日:2023年11月20日

桐生市の黒川鉱山での緑マンガン採取後は、みどり市の大間々町に移動し、本日のメインイベントである桑原利平マンガン工場の見学へ。

桐生市の黒川鉱山でバラ輝石と緑マンガン採集
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このマンガン工場は以前に訪問しており、ご親族の方から撮影許可を頂いて、少しだけ見学をしたことが有りました。
その際は建物自体を所持している方が不在だったので、外部と隙間から中身を見るだけでしたが、今回は建物自体を所持している方にアポを取ることができ、工場内を見学させてもらうことになりました。

今回の見学は一緒に探索をしており今回アポを取っていただいた某先生、合同調査の取り纏めをしている別の某先生とその関係の方々、某博物館の学芸員さんとそうそうたるメンバー。ただの趣味で廃鉱山をウロウロしているだけの私が、居るのも申し訳ない感じです。

桑原利平マンガン工場の写真についても、細かい住所などを出さなければブログに掲載しても構わないとの事だったので本ブログにて紹介です。

 

さて工場の全景はこんな感じ。
2棟の木造の建物が連なった形になっています。

 

軒先には木箱。
ここにはマンガン鉱山で使用した削岩機が入れてあったそうです。

 

こちらは作業用水槽。
ここでマンガン鉱石を洗う事も有ったそうです。

 

入り口の軒下。
作業で使う品がかけられています。

 

玄関脇には三好砿業の看板。
栃木の佐野市付近にある砕石工場で、桑原マンガン工場と色々関係が有るとか。

 

こちらは風呂。
当時は五右衛門風呂が有ったとの事です。

 

いよいよマンガン工場内へ。
中に入ると色々な機器類が、マンガンを加工していた当時のまま残っています。
ちなみに数年前にこの内部で美術の展示会を行ったことが有るそうで、細かいものはその時にかたずけてしまったそうです。

 

持ち主の方が、一つ一つ丁寧に説明してくださります。

 

入り口脇に有るこれらがマンガン鉱石を砕いていく機械類。

 

マンガン鉱石を砕く機器類全景。
作業的には右側から左に鉱石が流れていくそうで、一番右が大きい鉱石を砕く機器で、左に行くにつれ細かく砕く機械となります。

 

ざっくりですが、こんな流れになるようです。(一部私の想像も有り)

 

機会と機械の間にある柱のようなものは、実はカップコンベアーです。
細かく砕いたマンガン鉱石が、コンベアーの中に流れ込むようになっています。

 

柱の様な物の中にはこのようにカップコンベアーが入っており、砕かれたマンガン鉱石が自動的に次の工程に進むようになっています。

 

コンベアーの駆動部。

 

マンガン鉱石を砕く各工程。
こちらが一番右の機械。

 

所謂ジョークラッシャーというやつですね。

 

こちらがマンガン鉱石投入口。

 

こちらが2番目の機器。
ジョークラッシャーで砕かれた石が木箱の中で分別され、有る程度細かいのは側に置いてあるクラッシャーに流れるようになっています。
大きいのはそのまま落として、元の工程に戻していたのでしょうか。

 

3番目の機器。
より細かく砕くクラッシャーの様です。

 

4番目の機器。
こちらはサイズをふるい分けしていた工程でしょうか。

 

5番目の機器。
右がクラッシャーの様です。
左にも機器が有ったようですが取り外されていますね。

 

そして6番目の機器。
こちらもふるい分けの機器の様です。
サイズが大きいものは5番目の機器が有った台座の場所に戻される造りになっていますね。

 

上記の機器類の動画も撮影してみたので、こちらもどうぞ。

桑原利平マンガン工場

 

上の機械類を背にして反対側にも機器と、機器が有ったと思われる台座が残っています。
こちらでもマンガンを砕く作業が行われていたようです。

 

 

こちらが細かく砕いたマンガンを選別する機会。
風を使って比重の違いで分けていたようで、今でいうサイクロン式掃除機の原理に近いとか。

 

下部に有った機器の可動部。

 

駆動部の無骨な感じが良いですね。

 

別所に有った機器。
こちらも作り的に上記と同じく、風を使って分別する機器の様です。

 

こちらは工場の梁。
トラス構造で複雑に組み合わされています。

 

この複雑な梁の組み合わせにより、工場内に柱が1つも無いように作られています。
これは限られた敷地内を有効に活用できるように、この造りにしてあるそうです。
同じ群馬県は富岡市にある世界遺産の富岡製糸場などと見た目は違えど同じ造りだとか。

(このとき皆さんで集まって、色々貴重な話をしていたようですが、建物の画像を撮る事に夢中になって聞きそびれました・・・)

 

工場内の大型機器以外のものも見てみます。
工場の脇には当時使用されていたと思われる秤が有ります。

 

こちらはリヤカーの枠組み。

 

唐箕と思われる物。
風を使ってマンガン鉱石の分別などを行っていたのでしょうか。

 

鉄製の荷車。
重いマンガン鉱石を積むため、金属で頑丈に作られています。

 

動力機。
これは実際にどこかの鉱山で使われており、山に置いてあったものだそうです。

 

昔ながらの字体の『油断大敵』。

 

こちらは建物全体の様子。
梁でしっかり支えられているので、柱が一つも有りません。

 

 

こっちは製品置き場っぽいスペース。

 

端に製品化された酸化マンガンらしき粉末とその塊が落ちています。

 

先生が手にしたところ、こんな真っ黒に。

 

マンガン鉱石は山で拾えますが、それが工場で生成された二酸化マンガンを目にすることは無いと思うので、記念に少し貰っていきます。

 

工場を見学した後は、外の物置も見せてもらいます。

 

こちらはマンガン鉱山で使用していたダイナマイトの空き箱。
この箱事体も今では価値が有りそうですね。

 

こちらはマンガン鉱石の試料と思われる物。
汚れていますが、きれいにしたら貴重な鉱石が有るかもです。

 

こちらはJK印が入ったカッチャ。
JKの意味は桑原順一氏のイニシャル。
桐生・渡良瀬地域のマンガン鉱山開発ではレジェンドである桑原順一氏の印なので貴重ですね!

 

その他お聞きした情報として雑多にまとめです。

  • 工場の他にもマンガンの鉱石や製品を検査する特別な部屋が有るそうです。
    当時はマンガン鉱石の品位などを見極める事が出来る職人さんおり、その方はVIP待遇で重役出勤だったりお酒などを出していたそうです。
  • 松下幸之助氏もこのマンガン工場に訪れた事が有るとか。
  • 工場(設備?)を高砂乾電池に貸してたことも有る。
  • 鉱石の出荷先は東芝や信越化学などが有った。
  • 炭酸マンガンは小割して信越化学に出荷していた。
  • マンガン電池用の二酸化マンガンは粉末にして出荷していた。
  • マンガンの一部は屋根瓦の色付け用にも使用されていた。

また、桑原純一氏と桑原利平氏は群馬県や栃木県にてマンガン鉱山開発も行っており、「桑原鉱山」「朝日沢鉱山」「利栄鉱山」「二渡鉱山」「小中鉱山」「小中山鉱山」「黒保根鉱山」「第二田沢鉱山」「上田沢鉱山」「浅原マンガン鉱山」などなど複数の鉱山経営に携わっていました。
おもに渡良瀬地域のマンガン鉱山を経営していたので、今回いただいた情報を元に渡良瀬地域のマンガン鉱山も調べていきたいと思います。

それにしても当時のマンガン工場がこれほど綺麗に残っていたのにはびっくりしました。
今回は工場の見学や当時の話など、貴重な体験が出来て良かったです。

 

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