桐生市の忍山鉱山探索

桐生市

探索日:2024年6月10日

岡平山神宮脇の採掘跡を探索後は、お会いした方の案内でマンガン鉱山跡地へと向かいました。

桐生市の岡平山神宮付近の試掘跡
探索日:2024年6月10日 この日は某先生と桐生市のマンガン鉱山探索に向かいました。 まず最初は以前から気になっていた、岡平山神宮付近の試掘跡。 こちらはネットで調査中に以下のページに気になる一言が有るのを見つけます。 ...

 

案内された場所は住宅地裏手の山。

 

このお宅の裏手のこの位置に、かつてマンガン鉱山が有ったそうです。

 

案内してくださった方の話を伺う某先生。

 

現在は住宅地となったことで、埋められてしまったそうですが、この場所が坑口跡との事。
昔は崖自体がもっと高かったので、造成で数メートル埋まったようです。

 

坑口跡上部の崖付近。
某先生曰く、千枚珪岩とチャートが見られ、マンガンが有っても不思議では無いとの事。

 

 

落ちている石には確かに、マンガンらしき黒い鉱物が付着しています。

 

この辺りはズリ石っぽい気もします。

 

ちなみにこの方はマンガン採掘者の親族との事で、以下のような詳しい話を伺うことが出来ました。

  • 採掘者の一人は内田正男氏。
  • 内田氏よりも前に採掘者がいたが、一時採掘を止めていた。前の採掘者の名前は存じてない。
  • 内田氏は戦後の昭和20年後半から30年代に採掘していた。
  • 大門地区に昔は市場が有り、そこの埋め立てにこの鉱山のズリ石を使用した。市場跡に保育園が出来た。
  • 当時この地区は居館(いだて)と呼ばれた。今もバス停の名前で残っている。その前は中道字なんとか(字名は失念との事)
  • 廃坑後に坑道内へ瀬戸物など不要物を捨てに来たことが有る。
  • 坑道は山側では無く、住宅地側に掘っていた。(下の画像の指先付近まで掘っていた)
  • 山を越えた場所に銀を掘っていた穴が有り、見に行ったことが有る。
  • 少し離れたアイザワにもマンガン鉱山があり、その時の祠(山神様)が残されている。

 

鉱山は山側に坑口が有り、山側から100~200mぐらい住宅地側に坑道が繋がっていたとの事。
下の画像の指先付近まで坑道が進んでいたそうです。(画像の右側が坑口の有る山側)

 

探索後に内田正男氏の事を調べていたら、日本のマンガン鉱床補遺に権者が内田正男氏で「忍山鉱山」の名称が出てきました。

 

という事でどうやらここは忍山鉱山と思われます。

今回はたまたまマンガン鉱山経営を営んでいた方のご親族に遭うことが出来て、貴重な情報を頂くことが出来ました。
坑口も遺構も残っていない鉱山だと見つけるのは不可能に近いので、今回の探索で現地を確認することが出来て良かったです。

お次は茂倉沢鉱山の舟ヶ沢坑へ先生を案内します。

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