東京都青梅市の東京炭鉱探索

東京都

探索日:2025年1月22日

この日は東京都青梅市の東京炭鉱と、埼玉県飯能市の龍崖山のマンガン鉱山跡探索に向かいました。
まずは東京炭鉱の探索です。

東京炭鉱とは

東京炭鉱は東京都青梅市に有った炭鉱で、昭和10年ごろから採掘を始め、昭和35年に廃坑となりました。
当時は竪坑が2箇所有った様ですが、危険なことから地元住民により埋め立てられたそうです。

小曽木近代誌には東京炭鉱に関する以下の情報が書かれています。

鉱区の所在地:東京都青梅市小曽木および青梅市谷野地区内
鉱区番号:東京都試掘権登録第四六二号
鉱区面積:28,322アール
鉱種:亜炭

  • また経営者に関しては以下の記載の様に、複数の経営者の手を渡っているようです。
  • 中村氏:昭和10年頃(権者では有ったが稼行は行わなかったとのこと)
  • 土谷勇氏:昭和10年から13年頃まで
  • 東亜亜炭株式会社(代表:井口武男氏):昭和13年から21年頃まで
  • 小林伸太郎氏:昭和22年6月から24年8月まで
  • 清水善右衛門氏:昭和24年9月から30年8月まで
  • 大和鉱業株式会社(代表:古川仁一氏):昭和30年9月から33年5月
  • 武蔵野炭鉱株式会社(日豊鉱業株式会社:代表豊田義昌氏):昭和33年6月から

採掘していた品種は当初は木質亜炭で暖房燃料に使用され、後に泥炭を採掘し固形肥料の材料として使われるようになったそうです。

 

坑内図と周囲の施設図。



(小曽木近代誌より)

 

坑内では軌条を設置し、台車で採掘した亜炭を竪坑に運び、竪坑では巻上機により坑外へと搬出された。
搬出された亜炭は針金下しで対岸の乾燥場までの約80mを運搬した。
亜炭は乾燥場で天日干しされ、カマスに詰めてトラックで工場へ運んだとの事。

 

現在は坑道はおろか炭鉱の設備も無く、バス停しか東京炭鉱の面影が残っていないものかと思っていましたが、どうやら坑道が陥没した穴がるとの情報を見つけたので、そこを見に行きたいと思います。

 

東京炭鉱探索

さて、東京炭鉱の探索です。
当日は飯能駅に向かい、そこからバスで東京炭鉱バス停に向かいます。

 

バスにしばらく乗ると東京炭鉱バス停。
東京都内に探鉱の名称のバス停が有るのは不思議な感じです。

 

ちなみに都バスは上下線とも『東京炭鉱前バス停』なのですが、西部バスだけ片方が『東京炭鉱』、もう片方が『東京炭鉱前』と若干名称が違います。

 

バス停から成木川を渡ります。
場所によっては川沿いの露頭に亜炭が見られるとか。

 

1月という事もあり、山影には霜が降りています。

 

予め目星を付けていた付近の畑道を入ります。

 

少し進むとやぶの中に穴が出てきます。

 

反対側に回り込んでみると穴らしき物が見えます。
どうやらここが坑道が陥没した穴の様です。

 

穴の近くへ行ってみます。
礫層が崩れていて結構怖いですね。

 

奥を覗き込んでみたらこんな感じ。
画像では見えないのですが、すぐ先で完全水没しています。
外気との温度差と湿度で靄がかかっていますね。

 

穴の中から陥没部分の様子。

 

細かい砂がパラパラと崩れてくるので、早々に脱出します。

 

炭鉱の陥没坑道を出て周囲の畑の様子。
この下に総延長500メートルの坑道が有るそうです。

 

炭鉱の陥没穴を確認したので、バス停方向へ戻ります。
資料の坑道図によるとこの付近の山にも通気用の竪坑が有ったそう。

 

バス停付近の住宅地。
この付近に探鉱の乾燥場や粉砕場が有ったそうです。

今は炭鉱の面影は全く見られないですね。

 

と言うわけで、まずは東京炭鉱の陥没穴を確認したので、お次は龍崖山に向かいがてら畑トンネルを見に行きます。

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