探索日:2024年10月31日
ジャパンスネークセンターを見学中に発見した謎の洞窟。
今回はその洞窟について調べてみたいと思います。

洞窟に関してはスネークセンターの案内図にもしっかりと記載されています。
ちなみにジャパンスネークセンターの名称になる前はヘビセンターと名乗っていた時も有ったとの事。この案内板はその当時の物の様です。
案内図の端には「大洞窟入口」と「洞窟出口」がしっかり記載されています。
ちなみに洞窟入口はネットにより封鎖。これ以上は行けません。
ズームで撮影してもこれが精いっぱい。真っ暗で見えません。
ちなみに洞窟の状態から、古くは石切り場で有った可能性は高そう。
今度は反対側の見晴らし台方面へ向かってみます。
見晴らし台付近へ来ると、案内図でいうと「洞窟出口」付近を上から見下ろすことが出来ます。
こちらも見た感じ石切り場跡ですね。
立ち位置を変えたら、「洞口出口」が良く見えました。
出口側もベンチとネットで塞がれており、これ以上は立ち入れず。
壁面はノミか何かを使って人力で削られた跡が残ります。
ちなみに近くに係員さんが居たので伺ったら「この奥には以前は施設として使っていた洞窟がある。東日本大震災の際に崩落したので閉鎖している」との事を伺いました。
探索後に調べてみると洞窟が崩落する前はジャパンスネークセンターとして、蛇を展示していたとの情報が出てきました。
さらにはジャパンスネークセンターになる前は「アドベンチャーランド」なる名称のテーマパークが有り、この洞窟内で恐竜の模型などを展示していたそうです。
館内に有った恐竜や古代の動物の置物はその時の物だとか。
ちなみに廃墟系のサイトを調べていたら、洞窟内を調査したサイトあり、今でも洞窟内には大型の恐竜の模型などが残されているそうです。
さらには『藪塚本町の民俗 (群馬県民俗調査報告書 ; 第16集)』からは以下の画像も。
この画像は「大洞窟入口」側と思われます。
さらには藪塚石の石切場跡との記載もある事から、古くは石切り場で有った様です。
洞窟内部の確認は出来ませんでしたが、洞窟の詳細が分かったので良かったです。
お次は帰りがてら西山古墳を見ていきます。

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