桐生市の満沢鉱山を探して

桐生市

探索日:2024年12月20日

朝日沢の旧鉱山道を探索した後は場所を移動し、某先生と共にマンガンを採掘していた満沢鉱山を探しに行きます。

桐生市は朝日沢の旧鉱山道探索
探索日:2024年12月20日 朝日沢東側のマンガン露天掘跡を探索後は、以前から気になっていた朝日沢の斜面にある平場を見に行きます。 平場は以前の朝日沢の探索の時に見つけているのですが、その時は時間が無かったので探索でき...

 

なお、結果から先に書くと今回の探索でマンガンの採掘跡を発見しますが、こちらは残念ながら満沢鉱山では有りませんでした。
実際の満沢鉱山は後の探索で発見しています。

 

さて、満沢鉱山についてです。
日本のマンガン鉱床補遺の位置図によると、満沢鉱山は山菱鉱山の近くに有るようです。


日本のマンガン鉱床補遺より

 

別の資料である「国内鉄鋼原料調査 第1報」には以下の記載も。

 

(ハ) 沿革および現況
鉱業権は戦後、小林勇ー山村猛夫ー小島善四郎ー小林満と移り、現在に至っている。
昭和33年から同34年にかけて月産20t(Mn 38%)を採掘したことがあるが、その後一時休山し36年から現在まで20t/月、MnO₂67〜75%程度のものを採掘している。

(ニ) 鉱山周辺の岩石
珪岩・チャート・粘板岩および砂岩からなり、一部に輝緑凝灰岩が見られる。褶曲と断層が多く構造は複雑であるが、一般に走向N20〜30°Eのものが多い。

(ホ) 鉱 床
本鉱山で現在稼行中の鉱床は、山菱鉱山の三窪鉱床と同一のもので、山菱鉱山で稼行している部分は本鉱床の下部(5〜10m下部)であり、その形状は玉状またはレンズ状を呈している。したがって鉱床の発展についてはあまり期待できない。

国内鉄鋼原料調査 第1報より

満沢鉱山は山菱鉱山の三窪鉱床を同一の鉱床を掘っていた様です。
それと『満沢』は沢の名前ではなく、権者の小林満氏の名前からとっている可能性が高そう。

また某先生が他の方から譲り受けたという地図にも、山菱鉱山の比較的近くに満澤鉱山と思われる鉱山跡が書かれています。とりあえずは山菱鉱山付近の沢を探しに行くことに。

 

目星を付けた沢へ。

 

ちなみにこの沢は以前に一人でかなり奥まで詰めた事が有るのですが、その時は何も見つけられず。
今回は資料と某先生との連携プレーで見つけたいと思います。

 

最初は枯沢だったのですが、途中からはちょっとした滝やプチゴルジュ地形の様な場所も出てきます。

 

気になるのが沢にはマンガン鉱山のズリ石が全くない事。
そして途中まで有った、とある岩石が見当たらなくなったこと。

 

とりあえず沢を登りながら、怪しい露頭や岩場をチェックします。

 

 

 

沢と山の斜面を確認しながら歩いていると、切り立った斜面のど真ん中に穴らしき物が見えます。
ただこの距離だと穴だか窪みだか分からず。

 

反対の斜面に作業道が有ったので、そこを伝って穴らしき物の正面へ行きます。
穴っぽい気もしますが、まだこれではなんとも言えず・・・。

 

すこし位置を変えると、先ほどまで見えてた穴とは違う穴らしきものも見えます。

 

とりあえずおおよその位置を特定したので、沢へ下って穴の真下まで行ってみます。
画像では分かりにくいのですが、穴の有った付近は完全な崖になっています。

 

何気に時間も迫っているので、カメラだけ持って斜面を登ってみる事に。
斜度以外にも何気に藪が凄く、登るのが大変です。

 

そして斜面にはマンガンのズリ石が出てきました。
この上部では間違いなくマンガンを採掘していたはずです。

 

崖が急すぎて途中の画像を撮る余裕は無かったのですが、岩場の上部には小規模ながら採掘跡。

 

そして穴の先の岩場にもこれまた小規模な採掘跡が有りました。

 

とりあえずマンガン採掘跡発見です。

ただ気になるのは、この採掘跡はかなり小規模。試しにちょっと削った程度の穴です。
日本のマンガン鉱床補遺には月産20トンのマンガンを採掘したとありましたが、月に20トンも掘った規模では有りません。

これらの状況から、ここは満沢鉱山では無さそう。
とりあえず画像だけ採って下で待っている某先生に報告し、この日は夕方も迫っていたことから下山。
また後日再調査に来たいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました