探索日:2021年11月27日
この日は、飯能市の西吾野付近にあるとされるマンガン鉱山跡などを探索に向かいました。
今回は意図せず地元の方からの情報で、仏穴なる小規模鍾乳洞や、その付近にあるマンガン鉱山跡を教えてもらったのでその内容になります。まずは空竜林道の奥に有る仏穴の探索です。
空竜の仏穴探索
今回の探索は西吾野駅からのスタートです。
駅を降りてからは川沿いに歩いていきます。
しばらく歩いて北川地区付近。川沿いの崖はマンガンを含んだような黒い石。
道沿いには北川小学校跡地。
廃校した学校の様ですが、様々な撮影や各種イベントで使用されているようで綺麗に残されています。この校舎は明治37年に作られたようで、明治校舎と呼ばれているとの事。ちなみに数年前までは明治校舎の右手側に大正時代に作られた大正校舎が有ったそうですが、残念ながら解体されてしまったようです。
さらに歩くと頭上には武甲鉱業のベルトコンベアが走り、その下を潜っていきます。
このベルトコンベアは秩父の武甲山で採掘された石灰石を、日高市の太平洋セメントの埼玉工場まで運んでいるもの。長さは23.4キロメートルもあり、日本最長クラスのベルトコンベアらしいです。
ちなみに以前秩父の武甲山付近を探索した際に、このベルトコンベアのスタート地点を撮影していました。以下の写真が以前撮影したもの。ここから山の中のトンネルに入り、ひたすら地下を進んでいきます。
石灰のベルトコンベアを過ぎてしばらく歩くと、「空竜線」なるカッコいい名前の林道が出てきます。事前調査によるとこの林道エリアに、何かの穴らしいものが有るそうなので進んでみます。ちなみにどこに有るかまでは特定できていないので、行き当たりばったりでの探索です。
林道沿いを歩いていくと、岩と一体化した面白い家。なかなか見かけないタイプの作りですね。
さらに進むと林道沿いに獣の気配が。逃げる様子もないので恐る恐る近寄ってみると、くくり罠に掛かった鹿がいます。
急に人が来たのでびっくりしたようで暴れていますが、助ける事も出来ないのでここはスルーします。
林道はいつしかこんな感じの道になります。人気が無い割にはきれいなので、定期的に林業関係の人が入っているのでしょうか。
そして林道は唐突に終了。後から聞いた話では、過去にはこの先も登山道として続いていたとの事ですが、人が訪れなくなり自然と廃道となったそうです。
とりあえず林道の終点まで来たので、周囲に何かないか見渡してみます。上を見上げると岩があり、穴だか窪みだかが有るので行ってみる事に。
斜面を登って岩山に近づいてみると、下から見えた穴の様な物はただの窪み。しかし、この岩山は石灰岩でできているようで、僅かながらですが水で浸食された跡が見受けられます。
もしかしたら小規模ながら鍾乳洞が有るかと思い、周囲を探してみましたが残念ながら何も見つからず。仕方なく林道を下山します。
地元の方からの有力情報
空竜エリアでは残念ながら何も成果がなくトボトボと歩いていると、ちょうど地元の人がカブで通りかかり「何やってるの?」と声をかけてきます。そこで「鉱山跡などを探している」ということを伝えると、「マンガン採掘跡なら有るよ」という情報が。さらにはそこまで案内してくれるとの事で、カブの後をついていきます。
林道の登りを走るカブの後ろを走って付いていくのは辛かったですが、場所まで連れて行ってくれるとの事で必死に食らいつきます。
そしてまずはマンガン採掘跡を案内してもらいましたが、記事の都合上順番を後にします。
さらに色々話していると、この先に「仏穴」という小規模鍾乳洞が有るという情報をもらえます。
上記の貴重な情報を貰ったので、さっそく仏穴が有るとされる沢に向かいます。
追記:2022年3月19日
さらに仏穴の情報として「飯能市史 資料編 Ⅶ 飯能の自然-地形・地質」には以下の情報が有りました。
仏穴は飯能市の資料にも記載のある穴の様です。
仏穴を探しに
仏穴があるらしい沢に入り、少し歩くと目印となる〇〇があります。その100メートルほど先の右側を見上げると、斜面の上部に確かに情報通りの岩場があります。
岩場へ向かうにはかなりの斜面を登らなければなりませんが、行けそうな場所を探して登ってみます。
斜面を登って岩肌付近へ。かなり急で、滑落したら大けがものです。
岩肌に取り付いてからは、滑落しないようにトラバースして、穴が有りそうな場所を探します。
岩肌の斜面を探していると、水で浸食された石灰岩が増えてきます。目指す仏穴は近そうです。
そして斜面に穴らしきものを発見。近づいてみます。
穴の前まで行くと、人が一人入れる程度の穴が口を開けています。
中はこんな感じ。石灰が水で浸食されており、小規模ながら鍾乳洞となっています。
穴の上部も小さいながら空間が続いている様子。
とりあえず穴を見つけましたが、小さすぎて「仏穴」とわざわざ名前を付けるほどのものでもなさそう。
さらに周囲を探索すると、さらにもう一つ穴を発見。
かなり狭く、穴の入り口も土砂と落ち葉で埋もれていますが、中は比較的続いていそうな感じ。
ライトで照らして中を覗いてみると、下に向かって斜めに続いています。
さらに奥まで覗き込むと、それなりに先まで続いていそうです。這いつくばって行けば中に入れそうですが、一人でケイビングもどきの事をするのは怖いので、今回は覗き込むだけにします。
先に地元の方から聞いた「小さい子供なら入れる程度。現在は埋まっているかもしれない。」という情報からすると、ここが仏穴の様です。
仏穴らしき穴を見つけた後は、この穴の付近に有ったとされるマンガン採掘跡を探します。とりあえず沢沿いや、チャートの岩肌が見える付近をウロウロしてみますが見つからず。
30分ぐらい付近を探索するも、何も見つからないのでこのエリアの探索は終了にしました。
日本のマンガン鉱床の情報
探索後この記事を書くまでの間に「日本のマンガン鉱床」なる本を入手しました。その本を眺めていると、この付近に有ったとされる「日電鉱山」の情報が載っています。
そこに記載された地図と内容には「仏穴」の文字が(赤字部分)。そして地元の方が話していた「仏穴の上部か奥にもマンガン採掘跡があった」というのを裏付ける、日電鉱山1号抗の文字も記載されています(緑字部分)。
さらには仏穴でも栗色炭マンを産出していたとの内容も記載されています。
探索後の情報では有りますが、この後に書くマンガン鉱山跡とかなり関連していそうなので、再度探索する必要が有りそうです。
この次は順番が前後したマンガン鉱山跡の記事になります。
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