探索日:2023年5月26日
足尾銅山の小滝エリアの遺構を探索した後は、足尾銅山の主要坑道の一つである小滝坑を見に行きます。
小滝エリアから直ぐに旧小滝橋が出てきます。
小滝橋の説明として「明治20年に銅山便道として開削さえた小滝路に、唯一残された鋼製の橋(長さ26.6メートル、幅3.05メートルで、大正15年に架設された」と案内板にあります。
その隣には小滝坑道の案内板も。
明治10年(1877年)足尾銅山経営を始めた古川市兵衛は小滝の旧坑(250メートル先までの掘止)を利用し、明治18年(1885年)7月にこの小滝坑を開坑しました。
明治26年11月には本山坑(間かく3005メートル)と貫通し、次に立坑で通洞抗(間かく3276メートル)とも連絡するようになり備前楯山に向かって三坑から採鉱がすすめられました。
この開坑の功労者は笈川清七と木部末次郎であり、当時下駄造づくり小屋が1件しかなかったこの土地に小滝坑を中心に銅山の施設と集落が出現し、大正年間には人口一万人余りとなりました。
昭和29年(1945年)銅山の経営合理化により小滝坑が廃止されるとともに銅山の施設が全部撤去されて今に至っています。
当時の名残を小滝坑と前岸の削岩機練習場のノミ跡にとどめています。小滝坑の小坑は旧坑の一つです。
こちらは小滝橋の跡。
トラスの橋の枠組みが残されています。
当時は小滝坑から出て来た鉱石を載せたトロッコが行き来していたのでしょう。
小滝坑側からの小滝橋。
小滝橋の先には道沿いに小滝坑が出てきます。
小滝坑の前には坑道から出て小滝橋へと続くレールの跡。
そして小滝坑の坑口。
坑口は昭和六年と昭和47年に改修されているようです。
坑口は鉄製の門と錠前で頑丈にロックされています。
レールの隙間から坑道内を覗き込んでみます。
坑道内はしっかりと補強してあり、中には作業用と思われるトロッコも残っています。
トロッコに組まれている単管パイプらしきものは新しそうなので、定期的にメンテナンスなどを行っているのかと思います。
そして本山坑や通洞坑とも繋がっているとの事で、隙間からはものすごい冷風が噴き出てきます。
小滝坑を眺めたので対岸に向かいます。
対岸には旧小滝火薬庫跡が残されています。
案内板には「足尾銅山では明治14年頃から火薬を使って採鉱していた。この火薬庫は明治40年頃まで使用していた物と思われる」と記載されています。
火薬庫の中にはレンガ造りの遺構が残されています。
火薬庫の上部の岩肌にはロープがぶら下がっていました。
こんな場所でもだれかがクライミングやっているのでしょうか。
そういえばこの付近に削岩機の練習跡が残っているらしいのですが、今回は見損ねてしまいました。
お次は道沿いに少し進んで、当初の小滝坑道跡。
こちらの坑口も道沿いに有るので見るのが楽ですね。
こちらの当初の小滝坑は「明治18年に開削に着手し、翌年開坑されたが、坑内電車(国内初の実用化)導入のためか、数年後に現在の大きな坑口を開坑した」と書かれています。
当時の小滝坑をフェンスの隙間から眺めてみます。
崩れているのかと思いきや、奥は当時の支保工と思われる木と共に、レンガ造りの壁が見えます。
あのレンガの壁の奥に現在の小滝坑が通っているのでしょう。
小滝坑の先には、地名の由来となったと思われる「小滝」があります。
小滝から歩くとズリ斜面の様な怪しい場所が有ります。
当時はこの辺りも採掘していたのでしょうか。
その脇には鹿の物と思われる頭骨も。
次は銀山平を目指して庚申川沿いを歩きます。
川には再びサルの群れもいたり(画像の河原付近に1匹サルが写っています)
庚申川は渓相も良いので、川沿いを歩いているだけでも楽しいですね。
そんな感じでしばらく歩いていると、レンガ造りの遺構が出てきます。
その先には石積みと多数の平場が見られます。
どうやらこの付近が銀山平の集落跡の様です。
近くには銀山平の社宅あとの案内板も。
当時はこんな感じで左右に多数の社宅が有ったようです。
銀山平集落跡の奥には中国人殉難烈士慰霊塔が出てきます。
案内によると「太平洋戦争の末期、中国から強制連行されてきた257名が、足尾銅山の労働に従事し109名が殉難された」と書かれています。
広場の石段を登ります。
ひときわ高い場所に中国人殉難烈士慰霊塔がありました。
この付近には銅山の製材所跡も有ったとの事。
こんな山の中に綺麗な施設が有ると思ったら国民宿舎かじか荘。
かじか荘にある足尾温泉庚申の湯。
この温泉は昭和46年に古河鉱業株式会社が探鉱中に温泉脈を発見したのが始まりで、その後に足尾町が新しい温泉の開発に着手し、ここに湧出したとの事です。
ちなみにここは庚申山、皇海山、備前楯山の登山口になっているようで、この日もハイカーさんなどが多かったです。
私は備前楯山を一周するので、右へと向かいます。
かじか荘からしばらく歩くといつの間にかこんなに標高が高い場所へと来ていました。
道の途中には土神神社の碑。
碑がどれだかわからず。
この石でしょうか?
そのうち峠を越えて備前楯山の登山口へ。
備前楯山山頂付近にも坑口や採掘跡が残っているらしいのですが、今回は登山する時間も無いのでまた今度。
このまま備前楯山を一周する形で下山しつつ、お次は足尾銅山の本山坑を見に行きます。
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