探索日:2021年5月9日
今回は飯能市の伊豆ヶ岳付近にある大蔵鉱山を中心としたマンガン鉱山を探索に向かいます。
今回紹介するマンガン鉱山以外の飯能市周辺のマンガン鉱山は、以下のページでもまとめているので良かったらご覧ください。
大蔵鉱山とは
大蔵鉱山とは伊豆ヶ岳のふもとの大蔵山に位置していた、マンガンを採掘していた鉱山です。吾野駅の北方約10km、正丸峠南方約2km、飯能市南川大倉山に位置していた鉱山で、豊岡金属により操業されていました。
鉱床は輝緑岩と赤珪岩に挟まれた位置に存在し、「元山鉱床」「南鉱床」「北鉱床」の3つの鉱床が有りました。その中でも最大の物は「元山鉱床」と呼ばれ、走行延長が30mから40m、幅が0.5mから3mとなっています。このページでは「元山鉱床」について記載しています。
主な鉱石な炭マン、バラ輝石、ブラウン鉱と少量の赤鉄鉱が採れ、マンガンとしての品位は25%から40%、鉄としての品位は10%以下と記録されています。
1939年から1944年にかけてはマンガンが303トン採掘され、1973年(昭和43年)までには、累計で2000~2500トンのマンガンが採掘されたと記録が有ります。昭和26年の時点では産出量は無く「整備中」との記録が残っています。
手元の資料の「日本地方鉱床誌 関東地方」には埼玉県のマンガン鉱山として、大蔵鉱山を中心にいくつかの記載が有ります。この図だと大雑把すぎて場所の特定も何もないのですが、事前に地図や地形図でそれっぽい場所に目星をつけての探索になります。
大蔵鉱山の南鉱床の探索記事はこちら。
また、近くにある第二大蔵鉱山の探索記事はこちらになります。
参考資料:『日本地方鉱床誌 関東地方』『日本鉱産誌 I-c 主として金属原料となる鉱石』『埼玉縣下に於ける満俺鉱予備調査報告書』『山師入門―登山で見つけよう大地の宝』
大蔵鉱山の場所や行き方
大蔵鉱山へは西部秩父線の正丸駅から、伊豆ヶ岳方面へと向かいます。
基本は伊豆ヶ岳の登山道を歩き、途中でマンガンのズリ山が出てくる沢で登山道から外れて右側の沢筋に入ればすぐです。
登山道沿いかつ人も多い場所なので、飯能エリアのマンガン鉱山跡の中では、アクセスしやすい場所にあります。
大蔵鉱山探索
さて大蔵鉱山の探索です。
このエリアには伊豆ヶ岳登山として過去に何度か訪れたことが有るのですが、今までは廃鉱山に全く興味がなかったのでこの付近にマンガン鉱山が有ったことはこれっぽっちも知らず。
今回改めて大蔵鉱山を探索しつつ、伊豆ヶ岳に登ってみようと思います。
まずは最寄りの西武秩父線の正丸駅まで電車で向かい、ここからスタートします。
駅からは沢沿いの道を進みます。
5月の新緑の季節なので、沢沿いの道はとてもすがすがしいですね。
歩いている道は林道の大蔵山線だそうです。
途中から林道と別れて伊豆ヶ岳に向かう登山道に入ります。
コースの名前は大蔵山との事で、今回の大蔵鉱山と名称が一致します。
大蔵山コースの登山道はよく見ると、土台が石積みだったり岩を削っての道になっています。どうやら過去の鉱山道を転用して登山道にしているようですね。
そんな登山道をしばらく歩くと、沢の分岐がありその真ん中にはこんなマンガンのズリ山が有ります。
伊豆ヶ岳への登山道はここで左側に進むのですが、私はズリ石にそって右の鉱山方面へ。
とりあえずズリ山に登ってみると、結構な高さが有ります。
大蔵鉱山は結構大規模にマンガンを掘っていたようですね。
さらに奥に進むと幾つもの石垣が出てきます。
この辺りは建物の土台のようになっているので、鉱山施設の遺構の様です。
石垣エリアから先に進むと大蔵鉱山の坑口を発見。
以前は柵でふさがれていたようですが、その柵も倒れていますね。
さらにその先にもいくつもの坑口が有ります。
この辺りは縦に鉱脈が2本走っていたようで、縦にいくつかの坑口が開いています。
一番下の坑口が大きいので、上部で掘った鉱石を下の坑道に落としてそこから搬出していたようですね。
覗き込むとこんな感じ。
大半は斜め下にと掘り込まれています。
どの坑口も入り口付近にパイプなどが散乱しているので、以前はパイプの柵で封鎖されていたようです。
沢を挟んで反対側にも坑口が有るので、そちらにも行ってみます。
途中の沢には橋が有ったようで、橋脚跡のような石積みもありますね。
反対の坑口はしっかり封鎖されています。
覗き込んでみると奥は水が溜まっているようです。
大蔵鉱山の上部から見てみるとこんな感じ。
上部にいくつもの坑口が有り、下部に鉱山施設が有ったと思われる石垣と平場。
さらにその下にズリ石を捨てていたようです。
大蔵鉱山の坑口群を動画に撮ってみました。
というわけでまずはスムーズに大蔵鉱山の探索を終えたので、次は伊豆ヶ岳登山中にたまたま見つけた大蔵鉱山南鉱床です。
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