探索日:2023年2月23日
天神山城の探索後は天神山の斜面にあるとされる銅の採掘跡を探します。
今回も埼玉県立自然の博物館の資料である、『埼玉県長瀞地域における自然銅の分布・産状および採鉱記録』を参考にします。
資料によると天神山山麓に延長10メートルの坑道があり、古くは西浦採銅抗跡に繋がっていたとの記録が有るとの事です。
さて天神山の探索です。
天神山城から戻りそれらしい斜面を歩いてみます。
少し歩くと早速陥没跡のような穴が出てきます。
しかも1か所だけでなく周囲には幾つかの穴が開いています。
更には尾根の岩盤に沿って掘った堀跡がかなり長い距離で残されています。
上から見下ろした様子。
分かりにくいですが深さ1メートルから2メートル程の溝が斜面下まで掘り込まれています。
こちらは露出した岩盤に金属らしきものが含まれている感じ。
これが銅を採掘した跡なのでしょうか。
堀跡に沿って下ってみます。
所々藪に覆われていますが、掘られた跡はずっと繋がっています。
場所よってはかなり古そうな石垣も残っています。
ここが最下部。民家近くのお墓の裏になります。
最下部はかなり広く掘られてている他、他の場所に比べ深さも有ります。
最下部から斜面上部を見上げた様子。
写真ではわかりにくいですが、石切り場の様に岩盤が掘りこまれています。
掘り込まれた場所には石英を含む石が転がっており、採掘のズリ石の可能性有りそうです。
そしてここにも古そうな石垣。
最下部の掘り込みを上部から眺めた様子。
この付近を探索中に畑仕事をしていた人が居たので声をかけてみましたが、西浦の採掘跡はご存じだったものの、天神山で銅を掘っていたという事は聞いた事が無いとの事。
お話と共にこの山での探索許可を貰ったので改めて斜面を登りなおします。
登りなおしていると採掘跡に怪しい隙間が有ります。
覗いてみると埋まって入るものの1メートル程は掘り込まれています。
これが坑道跡なら、この堀跡は坑道が陥没した跡の可能性も高そう。
後から調べたところ、戦国時代の城であった天神山城には幾つかの空堀が有ったそうです。
参考にした資料『関東の名城を歩く 南関東編』には天神山城の城の様子と共に、多くの掘り跡が記載されていました。
しかし資料に残っている空堀は天守閣の周りが中心で、今回見つけた場所には存在したとの記録は無いようです。
さらに空堀なら坑道掘りをしなくても良いはずなので、上記の穴が有ったのは疑問が残ります。
天神山の斜面を1時間ぐらい探索しましたが、見つかったのは上記の堀跡のみ。
記録に残されている坑道は見つからず。
仕方がないので下山がてら今までと違うルートを歩いていると石垣を発見します。
石垣にそって歩いていると、穴らしき怪しい窪み。
近寄ってみると穴が開いています。
覗き込んでみるとまさかの採掘跡。
坑道の大きさや奥行きなどからすると、資料に記載されていた採掘跡の様です。
坑道は記録通り奥行き10メートル程。
一番奥は四角く窪んでおり水が溜まっています。竪坑でしょうか?
記録通りなら西浦採銅坑跡に繋がっているはずですが・・・。
そして坑道の中央部には梯子か木ソリか木造船らしき物が落ちています。
落ちているものが梯子なら、奥の水没部分は竪坑の可能性が高そうです。
そんなわけで最後は無事に天神山の銅採掘坑道を見つける事が出来ました。
この後は西浦採銅坑の坑道内探索に向かいました。
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