昭和鉱山奥山鉱床再探索

桐生市

探索日:2024年4月16日

この日は昭和鉱山奥山鉱床探索。
昭和鉱山奥山鉱床は以前にソロ探索で発見し、今回は某先生を案内する合同調査になります。

前回のソロ探索はこちらの記事。

桐生市は黒保根地区の昭和鉱山奥山鉱床探索発見編
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さて今回の探索は4月の中頃。
黒保根地区では桜が満開。行く途中に見つけた見事な枝垂桜がとてもきれいです。

 

今回は某先生の車を利用させてもらい、林道の行ける所まで車で向かいます。

 

安全に行ける一番奥まで車で向かい、そこからは徒歩で進みます。

 

車を止めた場所の脇に何かの死骸。
よく見たらニホンカモシカが死んでいました。
死骸を見たら割と最近の様です。

 

さて車を置いて林道を進みます。

 

暫く行くと、斜面に生き物が。

 

よく見たらニホンカモシカ。
我々の様子が気になるのか、逃げずに崖から我々を見下ろしています。

そういえば少し前の探索で、ここから数キロ離れた場所で2匹のニホンカモシカを見たけたのですが、先ほど死んでいたニホンカモシカはあの時の片割れなのかも。

(以前見かけた2匹のニホンカモシカ)

 

桐生市は黒保根地区の熊の沢と沢入林道探索
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そんなカモシカに見送られ、林道から外れて沢を詰めます。
今回はこの沢を詰めて尾根まで登り、尾根沿いに昭和鉱山奥山鉱床を目指します。

 

そしてこの沢なのですが、なぜか所々にマンガンが落ちていたり。

 

しばらく沢を登ると、小割されたようなマンガンが出てきます。

 

気になったので、そのマンガンズリらしきものを追って行ったら、多数のレールと坑口を発見!

こちらも昭和鉱山の鉱床の一つの様です。
このマンガン鉱山跡については、別の記事にて詳細書いています。

黒保根の沢入林道奥のレールの有る鉱山探索
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マンガン採掘跡を後にし、さらに沢を詰めて何とか尾根に到達。

 

尾根沿いに歩き、以前も訪れた通称『鹿頭峠』に到達。
名前の由来は害獣ネットに引っかかったと思われる、鹿の頭骨が残っているため。

 

ここからはひたすら尾根を歩き、前回私が奥山鉱床へ向かった尾根沿いのルートへと進みます。
尾根沿いと言っても岩山の様な場所が出て来たりと、場所によっては結構ハード。

 

空は少しかすんでいますが、赤城山も眺める事が出来ます。

 

場所によってはピンクのアカヤシオが満開の場所も。

 

天候も良いので、アカヤシオを眺めて歩くだけでも楽しいですね。

 

アカヤシオを眺めつつ尾根を進みます。

 

 

途中で以前も見つけた小割されたマンガン鉱石が落ちている地点へ。

 

ここの一角だけ、非常に小さく小割されたマンガン鉱石が落ちています。

 

周囲を眺めたら掘られたような窪みが有りましたが、ここにはマンガンは落ちておらず。

この付近でマンガンを掘っていたと思うのですが、明確な採掘跡は見つけられず。

 

尾根沿いには木に取り込まれつつある、休猟区の標識。

 

尾根を進むと、道らしき窪みが出てきます。

 

明らかに人為的に作られた道です。

周囲に杉が見当たらないので、近年の林業用の道では無さそうです。
小中と上田沢結ぶエリア場所に位置しているので、昔の山越えのルート跡かも。

 

そんなこんなで昭和鉱山奥山鉱床の上部付近に来ました。
地形図を確認しながら、比較的緩やかな斜面を探して下っていきます。

 

場所によってはかなりの急斜面も有りましたが、何とか沢付近まで到達。

到達した場所が前回私が降りた場所とは少し離れた位置に。
そのおかげで前回見つけられなかった、鉱山施設の跡らしきものを発見します。

こちらは石組。

 

石組の上部は平場になっています。

 

平場には鉱山当時の物と思われる、金属や陶器の欠片が多数落ちています。

 

そんな鉱山施設付近にも、マンガン鉱山のズリ石らしき物が落ちています。

 

場所的にこの斜面が怪しそう・・・。
結構な急斜面ですが登ってみます。

 

登ってみると岩陰にほぼ埋もれた坑口を発見。

 

枯葉を取り除いて中を覗いてみると、坑道が続いています。

 

坑口の脇の露頭の岩には、二酸化マンガンと思われる黒い部分が付着しています。

 

某先生に確認したところ、二酸化マンガンとの事。
どうやらこの露頭から坑道掘りでマンガン鉱脈を求めて掘り進んだようです。

 

露頭と埋もれた坑口。

 

その先に進むと、鉱山設備跡か炭焼き窯跡らしき石組も出てきます。

 

沢底はまだまだ下の方に有ります。
鉱山施設は比較的高い所に位置していたようです。

 

さらに進むとコンクリートでできた釜か風呂跡と思われる物が有りました。

 

コンクリートにはマンガンのズリ石も使われていたりします。

 

沢沿いまで降りて来て、昭和鉱山奥山鉱床の本坑と思われるエリアに到達。

 

前回の探索で見つけた採掘跡を先生に案内します。
露天掘りか崩落した坑道跡と上部の採掘跡。

 

こちらは埋もれてしまったと思われる坑口。

 

採掘跡を上部から眺めた様子。

 

斜面を登っていると、鉱山道を思われる道を見つけたので進んでみます。

 

鉱山道は岩山をぐるりと回り込んで裏側へ。

 

鉱山道の真下も掘り込まれているので、慎重に進みます。

 

鉱山道は断崖絶壁に作られているので、沢に滑落しないように気を付けて歩きます。

 

その鉱山道沿いには複数の坑口が位置しています。

 

この付近の主坑道と思われる坑口。

 

すこし中に入ってみます。

 

入った直ぐは広く採掘されています。

 

坑道は奥にも続いているので進んでみます。

 

所々狭くなったりしますが、ある程度続いています。

その先も細い坑道が続いており、多分表と繋がっていると思われるのですが、狭い所を進むのが面倒なので戻ります。

 

こちらは別の坑口。

 

坑口から中を覗いてみますが、こちらも狭そうなのでパス。

 

このエリアはこの岩山沿いに幾つかの採掘跡が有りました。

 

鉱山道の脇には削岩機の跡も残っていました。

 

このエリアを下から眺めた様子。
この岩山にほぼ平行に複数の採掘跡が残されています。

 

今度は表側に戻って、露天掘り跡か崩落した坑道跡らしきエリアを調査。

 

崩れた場所の下部に怪しい窪みを発見します。

 

近づいてみたら僅かな隙間が。

落ち葉をどかしてみたところ、中から風が吹き出しています。
風が通っているという事は、どこかに繋がっており、坑道が残っているという事になります。
そのことから、ここは崩落した坑道跡の様です。

 

今度は施設跡と思われる遺構を確認。
こちらは巻上機か索道の基礎と思われる、鉄骨の残るコンクリート。

 

こちらの謎の遺構は、先生曰く火薬庫跡ではないかとの事。

 

火薬庫跡と思われる場所の下にも、何かの基礎が有ります。

 

こちらも多数の金属棒が残されています。

 

遺構の残るエリアの様子。
岩の露頭に張り付くように、基礎や火薬庫跡が残ります。

 

こちらは沢沿いの石組。

 

コンクリートの基礎らしき物の正面の尾根。
尾根の窪みに向かって索道がかけられていたのでは、との仮説を元に尾根を調査してみます。

 

画像ではわかりにくいのですが、かなりの急斜面を登り尾根に到達。

 

残念ながら尾根上には索道の遺構らしきものは無し。

 

この窪みは怪しいと思ったのですが・・・。
残念。

 

尾根から眺めた、鉱山の遺構の様子。

 

画像に説明を入れるとこんな位置関係。

 

尾根から下って最後は少しだけ石を叩いてみます。

 

バラ輝石などはあまり見当たりませんでしたが、銅を含んだと思われる石は見つかりました。

 

さて、昭和鉱山奥山鉱床を一通り見て回ったので戻ります。
かなりの奥地なので、車で来ているとはいえ余裕を持って帰る事に。

帰りはこんな斜面を登り尾根を目指します。

 

尾根に到達したら一安心。

 

後はひたすら尾根を歩き、無事先生の車に到達。
今回は先生を昭和鉱山奥山鉱床に案内出来て良かったです。

 

今回訪れた昭和鉱山奥山鉱床ですが『群馬県勢多地域マンガン鉱床調査報告』と『日本のマンガン鉱床補遺』に坑道図が掲載されていました。

 

『日本のマンガン鉱床補遺』の図。

 

『群馬県勢多地域マンガン鉱床調査報告』の図。

 

これらを見ると、レールが敷かれた斜坑とポンプ座が有ったことが記載されています。
現在鉱山跡に残る遺構から見ると、位置的に火薬庫らしきものが「ポンプ座」「何かの基礎」の上側の物が巻き上げ機跡だった可能性が高そうです。

ただ図面だと他にも多数の坑口が有るはずなのですが、埋まってしまったのか不明な物が多いです。
次回また探索に行く機会が有ったら、これらの考察を元に坑道図と照らし合わせてみたいと思います。

次は、行きに見つけたレールの多数残る鉱山跡を記事にします。

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